選挙(ヨシオ カサヤカ)

 今日、もし行けたら投票に行ってほしい。

  この文章を書き始めたのは先週くらいからだが、書いている間も別のことをしている間も、「別に会社や組織を代表してるわけじゃないし、書きたいことを書こう」という気持ちと、「なんの専門家でもないのに偉そうに、なんだこいつと思われるだろうな」と人の目を気にする気持ち、「もう投票日も近いし今更書いても意味ないよ」と思う気持ち、全部が同時に存在していた。そして書き直しているうちに、もう日本では投票日になってしまった。それでも、やっぱり次のことを、一人でもこれを読んでくれている人がいたら伝えたいと思った。

  今日、もし投票権があり、かつ投票に行ける状況にあるなら、それはとても幸運なことだと思います。だから、せっかくなので投票に行ってほしいです。


  それだけだ。

  以下に書くのは私がそう考える理由だ。すべて個人的な経験と感覚に基づくことなので興味がなければこの後はもう読みとばしてほしい。

① 選挙権がない人もいる。


  日本で生活している外国籍の人々は帰化しない限り選挙権がない。日本人として日本で生まれ育った自分は、この数年間、移民として米国に暮らす中でそれがどういうことか、少しだけ想像ができるようになった(もちろん当事者の気持ちが分かるなどおこがましいことは死んでも言えない)。

  日本と同じく米国も、移民や難民はどれだけ働いて納税しても帰化しない限りは選挙に参加できない。しかし、現政権の動向や次期大統領選の行方など米国の政治には注目せざるをえない。自分は投票者として政治に影響を及ぼすことはできない一方で、政治によって私達の生活は大きく影響を受けるからだ。

  だから、選挙権を持っている周りの人たちが政治に関心を持ってくれているほうが、私は安心する。米国に来て、一番深い恐怖を感じたのは移民排斥主義な人が存在していることではない。こういう人は日本国内を含め世界中にどこにでもいる。自分自身が移民であっても、他の地域からの移民や特定の民族への差別的なステレオタイプを語る人にも結構会う。自分が市民権を得てから初めての選挙でトランプに投票したと話す人もいた。彼ら彼女らの考えついて、私は全く賛同しないけれど、恐怖は感じない。

  それよりも、普段接している、日本のアニメに興味があり日本語を学ぼうとしている人、日本に限らず異文化に広く興味を持ち様々なバックグラウンドの友人を持つ人、など、どう見ても現政権の支持者のイメージとは相容れないタイプの米国人数人から、「私は政治に興味ないから」という態度や言葉を見聞きすることに、漠然とした、しかし深い恐怖を感じている。私にとっては、人種差別的な大統領とその支持者が存在すること自体よりも、彼女たちのような若い人たちが、現状を変える力を持ちながらその現状に異論を唱えないことのほうが怖かった。だから、投票できる立場にある人には、ぜひその一票を使ってほしいと強く思う。

  日々スーパーのレジに並ぶとき、私も、私の前後に並ぶ人も、みな消費者として米国の経済活動に参加し、また同時に経済の変動からも影響を受けている。それでも、私を含む列の中の何人かは政策を変えるための投票権がない。残りの何人かはその権利を有している。あるいは、職場でレジを打つとき、PCで作業をするとき、米国人の同僚と私は同じように横に並んで仕事をしている。我々は同じ労働者として、雇用や福祉の政策から大きな影響を受ける。それでも、参政権の有無という大きな違いがある。私が今日本で暮らしていたら、この「持っている・持っていない」が反転するだけで、その構図自体は変わらない。同じ電車で通勤し、同じスーパーで買い物する人の中に、私が当たり前のように持っている権利を持たない人がいるのだ。

② 選挙があるのは当たり前のことではない。


  日本を含む様々な国の歴史を見ると、ある程度公正な選挙が行われるのはとても貴重なことだと思う。視点は偏っているが、自分が遭遇した例としてミャンマーでの2015年総選挙のことを書きたい。
(当時のニュースは

 専門家による詳細な分析は

)

  推定80%という高い投票率のもと、最大野党NLD(National League for Democracy) が圧勝をおさめ翌2016年の政権交代につながったこの総選挙は、1990年以来初めてNLDが参加した選挙だった。民主化を唱えるNLDは1990年の総選挙でも大勝したが、この結果を認めない当時の政府が議会を招集せず、更にNLDを中心とする民主化運動支持者への弾圧も行ったため、NLDメンバーの多くは国外に亡命した。そして2015年まで、実に15年間ミャンマーでは民主的な選挙は実施されてこなかった。

  先日、自分の在外投票を終えたあと、ミャンマーの選挙のときの様子をふと思い出した。ヤンゴン市内のあらゆる場所でみかけたNLDのシンボルである赤字に黄色の孔雀のマークの他、強く印象に残っているのは、現地の人々が投票済の印として青いインクを小指の先につけていたこと(不正投票の防止のためなので2週間程度はインクが落ちない)、テレビが報道していた、シンガポールのミャンマー大使館で在外投票の列をなす人達の姿である。選挙の夜に夫と険悪になったことも覚えている。開票が進んでNLDの勝利が確定との情報が流れてきたとき、夫はNLDの党本部に行くと言い出した。夫は党員でもなんでもなく、政治活動をしていたわけでもない。当時NLDに投票した多くの市民のうちの1人にすぎない。ただ、その夜は、多くの一般の人々が、15年ぶりの勝利を祝福するために自然発生的にNLDの本部に集まったのだ。しかし、私は夫がそこに行くことに泣いて反対し、結局夫は出かけるのを断念した。なぜそんなに大げさに反対したかというと、選挙結果を覆すために軍部の側がなにか事件でも起こすのではないかと、割と真面目に思っていたからだ。(実際にその場に行った知人に後で聞いたところ、大変な賑わいだったが特に危険なことはなかったらしい。)

③ 選挙権があっても投票できない人もいる。


  今回はなんとか期日前投票ができたが、休みが取れない、領事館まで行く足がない、道中で車が故障する、など一つでもハプニングが起きたらこの状況に容易に陥るところだった。長くなるのでここでは詳細を省くが、法的に投票の権利を持っていても、海外に住んでいる日本人が実際の投票までこぎつけるのはなかなか容易ではない。投票に必要な証書を手にするまでにまず時間と手間がかかり、さらにこれを使って投票をするのにまたひと手間がかかる。

  私はたまたま時間がとれたものの、仕事、子育て、介護など、自分一人では調整し難い要件があれば、時間的余裕を持って郵送投票のための書類を手配をすることや、1日かけて遠く離れた領事館まで投票に出向くことは困難だと思う。日本国内に住んでいても、仕事や介護、家族や自分の体調不良など、色々なハードルで投票所まで行けない人がいるはずだ。


  もしこれまで読んでくれた人がいたら、ありがとうございました。

ヨシオ カサヤカ



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