口を覆って近所を歩く(イシイシンペイ)

 朝起きて、東に向かう。つっかけサンダル、もうすっかり夏の太陽がまぶしい。交通量はまばら、歩道にも人影はまばらだ。飲食店が並んでにぎやかだった我が街コリアタウンがこんな状態になってから、ひと月半が経つ。人はいなくなっても、路上はゴミだらけである。日本で絶えて見なくなった道端のゴミ箱を中心に、ファストフードの包み紙やら紙コップやらが散乱している。時間があるから今度から散歩のついでにゴミ拾いでもしようかしら、などと実行する気のないアイデアをもてあそびながら目を上げると、バス停のゴミ箱に肩まで腕を突っ込んで中を探っている人。私は足早に通り過ぎる。


 30分ほど歩いて、大きな池のある公園につく。こんなときにも餌やりおじさん、餌やりおばさんは日課を欠かさず、水辺にばらまかれた穀物にアヒルやカモメ、オオバンなどが群がっている。最近雑穀メシを取り入れているせいか、若干食欲を覚える私。一定の間隔で岸辺に並んでいるベンチにはもれなく人、人、人。植え込みからは小便のにおい。高い天井のついた野外劇場にはテントが一つと寝袋がいくつか見える。


 帰り道、ある劇場の前を通った。ふだん当日の演目が掲示されている看板に「REMINDER: YOU ARE LOVED」とある。低所得者がたくさん住んでいて、人口あたりの新型コロナ感染者が市中平均の倍くらい出ている地域である。


 次の朝、西に向かう。二、三の交差点を過ぎてにわかに閑静な住宅街に入る。広葉樹の並木が思うさま枝を伸ばし、強い日光をさえぎっている。歩道のところどころで大木の根がコンクリートを大きく波立たせている。商業施設の営業は許されておらず、もっぱら戸建住宅が立ち並んでいる。家々はどれもこれもイギリス風だったり地中海風だったり、いったい何億円するのか。植栽の管理は完璧。歩く人は稀だが、あちこちの庭で日焼けした男たちがうずくまって、黙々と球根の植え替えや芝刈りをしている。高い生け垣に囲まれた庭には、テーブルやイスや誰も乗らないブランコが所在なげだ。渡米当初は乾燥気候に不釣り合いな庭木の緑に強い違和感を覚えたが、それは今は慣れてしまった。むしろ邸宅のバカでかさが神経に障る。ここはロサンゼルスの中では別に最高級住宅地ではなく、せいぜい上の下といったところなのだが。誰もいない歩道脇の芝生で小さなスプリンクラーが虹を作っており、少し脛に水がかかる。


 適当なところで引き返す。来た道をまっすぐ自分のアパートに帰っていくと、ある通りを渡ったところで明確にテントが増える。車で飛ばしているときはこのグラデーションは分からない。


 ロサンゼルスで自宅待機命令が出たのは3月20日で、もう2ヶ月になる。一度期間が延長されて5月15日までということになっていたが、期限切れ直前で案の定また延長、「いつ終えるかは決めない」ということになって今日に至る。毎日、新聞社のウェブページで死者数のグラフを確認し、昨日は多かったとか少なかったとか、まるで天気予報でも見るような気持ちだ。


 こちらでは中国で実施されたような厳しい移動制限はかかっておらず、注文品の店頭受け渡しなど、いくつかの経済活動は解禁された。別に感染者が減り始めた兆しもないが、これ以上社会を止められないという理由でのジリ貧の解禁であると言われている。より経済的自由を重視する他州ではもっと大胆に社会の再始動が図られている。


 いずれにせよ、ウイルスの抑え込みはできていないわけであるから、警戒を解くことはできない。これからも基本的には室内でふわふわした心持ちをセルフケアする日々が当面続く。私はこういう持久戦は得意なタチであるけれども、たまに、もう、いいかげん、いやになっちゃったなー!!と大声で叫びたく、なる。そのたび、まあまあまあまあ……と自分をなだめながら前を向く日々だ。大人だからね。


イシイシンペイ



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