屋台のラーメン(や)

 久しぶりに夜中のJR水道橋駅、東口前を通過すると、ラーメンの屋台が見えた。一度だけ、私は屋台のラーメンを食べたことがある。大学2、3年生のころ、高校の元クラスメイトと一緒にだった。

 大学2年生のころ、突然に元クラスメイトからメールを受け取った。特に仲も良くなかったので、どうやって私のアドレスを知ったのかもわからない。ただ、そのメールは、自分は一浪して東京に来たけれど、高校時代にみんなと仲良くしなかったことを後悔しているので、これからでも集まる機会があれば声をかけてほしいという内容だった。

 そんな機会は、案外すぐに訪れ、仙台から別の同級生が遊びに来ることになったので、その元クライスメイトにも声をかけ新宿で飲むことになった。飲んでいるうちになぜか終電を逃してしまい、私たちは駅でラーメンを食べた。仙台から来た友人が「東京らしいね」と言った。それからなぜか二丁目のバーで飲み、始発までの時間を漫画喫茶で潰して、解散した。

 その元クラスメイトは、あまり口数が多い方ではなかったけれど、たぶん二丁目のバーで飲んでいるときに、親しい人も含んだ男性同士の性行為を予想できない瞬間に目の前でみたことがあると話していた。そして、あとでわかったことだけれども、その場に一緒にいた別の人は、ゲイで、のちに二丁目に居場所を見つけ出していた。

 数年前、地元で仕事のイベントがあり、担任の先生が来てくれた際に、元クラスメイトが亡くなったことを知らされた。自ら命を絶ったそうである。その瞬間、私は、ショックも受けたけれど、彼は生きていても辛かったかもしれないから、その選択肢しかなかったのだろうなと「納得」した。彼の選択については瞬時に肯定した。

 早くして亡くなった人について語る際、「生きていれば」家庭も築いて、子どももいたかもしれないのにね、とその死を残念がるけれども、つい先日、水道橋駅で屋台のラーメン屋を見たときに、私は、その後に元クラスメイトよりは10年近く長生きしているのに、子どもを産む予感もパートナーができる予感もないなあとハッとした。屋台のラーメンだって、その後に食べていないのだ。

 担任の先生から彼の死を知らされたときに、私は「仕方ないな」と思うと同時に「あれ?」とも戸惑った。というのも彼が亡くなったという時期に、アドレスを変えました(当時はまだこんな慣習があったのだ)、というメールがきていたからだ。あとで、よくよくアドレスを見てみたところ、ある日にちと「定冠詞」を意味する語が書かれていた。「アドレス変えました」が、彼最後の渾身のギャグだったのかはわからないけれど、もしそんな意味だと気づいていたのなら、私は彼に、ドイツ語だって冠詞は変形するし、ギリシャ語なんか格で固有名詞が変わるんだと教えてあげたかった。

 同級生何人かに聞いてみても、そのメールを受け取ったのは私だけだった。


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