自分が好きではないもの(や)


最近会った人の名前は思い出せないのに、小さな頃のどうでもいい記憶はしっかり残っている。たぶん小学校に入ったばかりの頃、母に
「大きなケーキと小さなケーキがあったら、自分で大きな方を選んでから他人に渡しなさい」(例は違っていたけれど)
と言われた。それは、私が他人にどう思われるかを気にするばかりに、あるいは優越感に浸りたいからか、自分が小さい方を取る習慣があるからだった。

そして、たぶん同じ頃に父には
「自分が何をしたいか、欲しいか言いなさい。自分で分からなくなっちゃうよ」
と言われた。その通りで、私は小さな時分から欲しいものがわからずに、その場で自分が言うように期待されていることを口にしてばかりだった。

私は、親が若い時の子どもなので、当時の二人はまだ20代だったと思うけれど、今の私よりもずっと若い二人が、子どもである私の本質を見抜いていたことには、今考えるとドキっとする。今の私は他人に関心がない、というか自分のことで精一杯なので、そこまで誰かに何かを言うことはない。

母や父に言われた記憶はしっかりとあるのに、33歳になっても、この二つの癖はいまだにどこか残ったままだ。それでも私は、特に服装の面などでは、自分が何を欲しいのかを理解しようとしてきた。

18歳で、大学入学のために家を出てから、現在の家が5カ所目で、途中留学に行くのに実家に全て荷物を引き揚げたりしたので、他の家族が転勤の多い職業であることも影響して、例えば布団などは二度目の上京の時に実家に残っていた誰かの布団を使っているわけだけれども、家電なども古くなり捨て、新たに買い求め……を繰り返しているうちに、私の身の回りには私が選んだものばかりが増えていった。

私は旅行と、旅行先でちょっとしたものを買い求めるのが好きなので、例えば私が今これを書いている居間(現在の家は2部屋ある)には大学1年生の時にインドに行って路上で買ったガネーシャ(ゾウの頭の神様)の飾り、ダーラヘスカ(スウェーデンの赤い馬)、ドイツの幸運の金色の豚などが置いてあり、寝室にはシヴァ神のモチーフやトルコの目玉ことナザールボンジュ、バリ島のランダ(寡婦!)のお面など、いろんなものがウジャウジャしている。

こんな風に自分の大好きなものに囲まれているのは心地が良いけれど、一方で、自分自身が変わっていくので、たまに居心地の悪さを感じる。例えば、私は学生の時に使っていたiPhoneを持っていて、SIM解除をできなかったのでWi-Fiが使えるところで(例えばお風呂場とか)使っているけれど、そこには大学生の時にせっせとCDから取り込んだ数多くの楽曲が入っていて、それをシャッフルして聞いていたりなんかすると、「なんでワナビーなんて聞いてたんだろう」と思ったりする。それと同じような気変わりを、ふとした瞬間に部屋で感じるのだ。

ある時私は、安売りしていたAmazonのAlexa(AIスピーカー)を買い、部屋のWi-Fiにつないで、以来毎日使っている。天気などを聞く他に、最初は自分が作った音楽のプレイリストなどを聞いていたが、今は「アレクサ、ジャズが聞きたい」「アレクサ、80年代のポップスが聞きたい」などと言うと、自動で再生してくれる。これまで邦楽は一切聞かなかったが、友達が話しているアレってなんだっけ、と、たまに聞いたりもするようになった。

他に、先日、刊行物が好きな出版社で返品された本を4冊2000円の福袋として販売するというので、どんな本が届くのかと注文してみた。中には、イラストブックなどが入っており、普段だったら私は買わない書籍だった。

さらに先日、お友達に誘われて、演劇を見に行った。私は普段、翻訳物かつポストドラマ演劇(筋書きがない)を見ることが多いので、結構かっこいい役者さんたちが次々と舞台に登場し、しっかりとした筋書きがあるその劇を見て、とても楽しいと感じた。

その日の前後に、知人たちと「国語の教科書で何が好きだった」という話をしていて、好みの違いが如実に現れるなあと思いながらも、そこから派生して「これを読むべき」と話しているのを、スマホでメモにとった。そこで名前の出た中で未読だった中上健次の文庫本を、次の日に図書館へと借りに行き、私はリルケの『マルテの手記』を心の友にしてきた人間だから、あまり好きではないだろうという予感はしたけれど、とりあえず一冊を読んでみた。今までに読んだことのない文章に慣れるまで時間はかかったけれど、それでも癖になって読み通してしまう。

そう、今まで私はあまりにも、自分の好きなものばかりに囲まれてきたので、自分の好きじゃないもの、知らないものに出会う努力をしてこなかった。きっと好きじゃないと思い込んでいた。けれども、好きじゃなくたっていいじゃないか。中上健次の文章だって、全然好きじゃなかったけど、嫌いじゃないし、読んでいる最中は面白かった。さらに嫌いだっていいと思う。それは私の世界の外にあるってことだから。

好きじゃないものに出会う。それはとても楽しいことだと思う。


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