良い人間ではない(や)

先日、友人から聞いた話なのだが、彼女は、親しい友人に仕事や同居家族などの事情があってコロナ禍を理由に会えなくなったことについて、ある日、「自分は辛かったんだ」と気がついたという。これまでのように会えないことが辛い、それがストレスになっている。その痛みについて自分で気がついたという話を聞いて、私は、彼女が自分で理由を見つけ出して「えらいなあ」と感じていた。自分の痛みには気がつかないし、見ようとしない、ケアしないことが私の場合は多いからだ。(そうして度々、理由もわからないままに爆発する。)

最近、やはり私は辛いのかもしれない。それは友人が話していたようにそれまでの友人たちとなかなか会えないということ(でも彼女と会うようになったのはコロナ禍の始まったあとであるし、私は去年までと違った友人とばかり遊んでいる。新たな交友関係は楽しいし、「痛み」はないはずだったのだけれど)、さらには先月、お世話になった大学の先生が亡くなっていたと知らされたからなのかもしれない。

大学1年生の語学の授業で知り合って、留学にも行かせてもらって、ゼミの度に食事をご馳走になり、ワインを片手にドイツ語文学やギリシャ神話について日付が変わるまで話した。車に乗せて、自分の別荘にも連れて行ってくださった。今の内容の仕事ができているのは、先生が留学や学びのチャンスをくれたからだ。

何年か前から連絡がつかない状態が続き、どうやら病気らしいと、別の先生から施設の住所を教えてもらったのが去年の初め。私は、自分が「仕事が忙しいから」とお見舞いに行かない人間だとは全く思っていなかった。私は自分が良い人間だと思っていた。でも、やっぱりそんなことはなく、日々は流れ去り、私はお見舞いに行かなかった。

最後に連絡がついたのは、別の先生から住所を教えてもらった頃に、ふいに先生から来たメールで、身体の自由がきかないのでどんなちょっとしたことでもいいからメールをください、と書いてあった。私は何回かメールをしたかもしれない。返事が来なかったのでメールが見られないのかと思い、何度か手紙を書いた。だから住所が残っていたらしく、ご遺族から葉書で死を知らされたのだ。その葉書を見て、読んでいたかはわからないけれども先生のもとに手紙が届いていたのだと知って安心した。

そう、私は「会いに行かなかった」ことを棚上げして、自分がしたことばかりを思い出そうとしている。手紙を書いた。メールを書いた。会いに行こうとはしていた。施設に電話したのは実は死の翌日で、「規則で教えられないがここにはいない」としか教えてもらえなかった。

でも、住所を手にしてから1年以上もあったのに、私は会いに行かなかった。それは一生引きずると思う。

私は良い人間であろうとしてきた、というよりかは、そうであると思い込んできた。しかし、でも、それは絶え間ない努力の上で築かれるものなのに、私は努力を怠ってきたのだ。

昨日、別のことで私は人に嫌な思いをさせたので、今日はそのことを思い出して家から出る気力すらわかなかった。自分が嫌で仕方ないけれども、自分を見放すことはできない。相手に謝ることすら、接触を減らすためにしたくなかった。自分は人を傷つけたり邪険にしたり嫌な思いをさせたり、会いに行かなかったりする。これをぶちまけることで、私は慰めてほしいのかもしれない。でも、それではきっと意味がないだろう。

スウェーデンの友人には、できることは「次に同じようなことがあったときに、そのときは会いに行くこと」だと言われた。きっとそうだ。亡くなった人にはもう何もできないし、埋め合わせはできない。私はここから学び、次に生かすしかないのだ。


0コメント

  • 1000 / 1000