土曜の朝の検索窓は「銃 通報」


 アパートの外から銃声らしきものが3,4回聞こえて目が覚めたのは、土曜の朝4時頃だった。 パニック状態になり、警察に電話しようかと枕元の携帯を手に取ったが、やはりこの音で起きた夫に「とりあえず今はじっとしていたほうがいいんじゃないか」と言われ布団の中でしばらく様子を伺っていた。上の階で、人が動く音が聞こえた。彼らもこの音で起き出したのだろう。ただそのあとは、外からも、建物の中からも何の音も聞こえなかった。

 音の出処を目で見たわけではないので、絶対に銃声だとは言い切れない。でも、自動車のパンク音でもなかったし、こんな時間に工事か何かの作業音というのも考えにくい。仮に工事の音だったら、もう少し規則的に音が続くはずだろう。 

 本来であれば、私はあと10分後くらいには服を着替え、部屋を出てアパートの階段を降り車に乗り、5時始業のシフトに間に合うよう出勤しなければいけない。空が明るくなるのは7時頃からだ。銃声を聞いた直後に、アパートの敷地内とはいえ暗い外を数歩でも出歩く力がどうしても沸かなかった。 

 私は、仕事を休むことにした。派遣社員なので、有給というものは基本的に存在しない。休みを取れば、その分給料が少なくなる。この銃声と思しきもののせいで、通勤途中に災難にあう可能性は限りなく低い。今日の給料をこんなばかげた理由でみすみす失うことのほうがよっぽど災難だ。そうわかっていても、体が動かなかった。「明け方、家の外から銃声らしきものが聞こえた」という、ただそれだけのことなのに、精神的ダメージは思いの外大きかった。

 部屋の電気はつけず、布団にはいったまま、件名に「休暇依頼」、本文に「今日は緊急の事情で休みます。すみません。」と短い英文を書いて、休暇申請専用のアドレスに送信した。休暇申請する作業自体は至って簡単だ。始業30分前までにメールすれば、その時間帯に出勤している担当者が申請を確認し、返信して終了。時差を利用し、24時間、米国か英国かシンガポールのどこかの拠点が必ず稼働しているため、こんな夜明け前のメールにも1,2分で返信が来る。この日返信をくれたのは、英国の支社の人だった。名前だけは業務上のメールやチャットでたまに見ているが、実際に顔を合わせたことはないし、今後もおそらくない。お昼前のロンドンにいる彼女は、明け方のテキサスで一従業員が遭遇している"緊急の事情"が、「家の外で銃声を聞いたので恐怖のあまり外に出られなくなった」だとは想像もしないだろう。 

 その後空が明るくなり、7時半頃夫が仕事の関係で出かけたあとも、数時間布団の中にこもっていた。銃声とおぼしきものが数回聞こえただけで私はこんな状態なのに、シリアの人たちは、爆撃の音を毎日聞きながら生きてるんだよな、と漠然と考えていた。 

 やっと起きて朝食をとってから、もしや関連するニュースがやっていないかと偏執狂的にテレビのチャンネルを回し、何もないとわかると、今度はネットを偏執狂的に検索した。こうして、「この土曜日の朝、私の家の近辺では何も起きてなかったし、これから何かが起こることもおそらくない」ということを確認するためだけに約1時間を費やした。 

 その作業が終わり精神的に落ち着いてきたら、今度は、「今更だけど警察に電話するべきなのか」という次の疑問が浮かんできた。そもそも、アメリカ人は普通どうしているんだろうと思い、グーグルの検索窓にwhat to do if you hear gun shotと入れる。 すると、同じことを考えた人は過去にもいたようだ。すぐに検索結果が出て来る。匿名のQ&A掲示板で、「アパートの近くで銃声が聞こえた場合、皆さんは警察に電話しますか? 」という質問を、誰かが9年前にしており、109件の回答がついている。   

 回答は、「一度も近所で銃声を聞いたことが無い。でももし聞いたとしたら自分は通報する」「その経験がないからわからないし、これからもないことを祈ってる」「通報しない。銃声はよく聞くけど、うちの近所は田舎なので、たいていは猟をしてるハンターだから。」「しない。前に自分のアパートの前の道路で発砲事件があったけど、警察には連絡しなかった。」「大体しないけど、通報しても自分の匿名性が保てるなら場合によってはする」「普通は無視する。たいてい誰かが通報してるから。ちなみに前、家の前で自動車が2台放火されて、警察が来たんだけど自分は気づきもしなかった。」「発砲事件もデモも家の前でよくあるけど、特に通報しない」「治安の悪いエリアに住んでた時は銃声なんてよく聞いてたから、慣れて警察も呼ばなかった。」など、多種多様だった。  

 9年前に109のレスを書いたのは、もしかしたら1人か2人の人間かもしれない。ここに書きこまれている銃にまつわるエピソードは、ひょっとすると全部嘘か妄想かもしれない。 ただ、「銃声なんて慣れてるから何もしない」というのと「一度も銃声を聞いたことがない」という相反するレスが混在し、どこにも一つの答えがないところに、なんとなく、これは現実の情況と結構近いのかもな、という印象を持った。銃声を聞かなくて住む日常と、慣れるほど銃声を聞く日常が、私が今立ってる場所と地続きの、同じ国の中に同時に存在してるんだな、ということを、「夏は暑い」というのと同じくらい自然に納得した。「アメリカは銃社会である」「地域によって治安に大きな差がある」という情報は、米国に一片も縁のない子供のころからテレビや本などを通して知っていたけど、このように、自分が今立ってる場所と地続きのこととして感じたのは、この土曜の朝が初めてだった。 

 結局、私は丸一日家にこもって、掲示板で顔も知らない誰かの銃にまつわる話をネットで読み込んだあげく、夕方近くになってから(!)、警察に電話した。すると、「なぜ今電話してきたんですか?」と当然の質問をされる。「ええと、精神的に動揺してまして。。。」と答えになっていない回答をすると、「今通報されてもできることはないから、もし次に聞いたらすぐ電話してくださいね。それじゃ」と男性オペレーターに手短に言われ、会話はあっけなく終了した。オペレーターの言葉は正しすぎてぐうの根も出なかった。 

 こうして、銃声で目が覚めた私の1日は終わった。

ヨシオ カサヤカ

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