難民就労支援のインターン

(写真:オフィスの窓から見た風景)

 

 去年の秋から、難民支援団体の就労支援課で週2日インターンをしている。ほとんどの場合、インターンシップをするのは大学生か院生で、大学のプログラムの一環として期間も時間も決められている。私の場合は、派遣元がないので期間も決まっておらず、報告書をどこかに出す義務もない。

 ただ、半年やっていると、忘れがたい記憶が増えてくる。それらはとても断片的で、個々のエピソードから解釈や教訓を抽出できるわけではない。またお互いのエピソードをつなげて、誰かの心に訴えかけるようなメッセージにすることもできない。そうした切れ端のような記憶を、以下にいくつか記しておきたい。 


1) 

 多くの難民や移民が最初に米国で得る仕事は、彼らの本国での学歴や経験に関わらず、 製造業やホテルやレストランなどのサービス業が多い。米国での採用面接が初体験の「クライアント」(※就労支援事業の対象となっている難民のことを団体ではこう呼ぶ)に対しては、スタッフやインターンが、基本的な質問リストをもとに面接の練習を一通り行なう。英語でのコミュニケーションが難しい場合には、彼らの母国語の通訳を交えて行なっている。  

 ある日、私はキューバ出身のカップルの模擬面接を、スペイン語通訳の女性と一緒に行なうことになった。2人は30代の手前で、母国ではどちらも医療関係の仕事についていた。米国に来て数ヶ月の彼らは、シフトが不安定なホテルのランドリーから、倉庫での荷詰めの仕事に2人で一緒に転職しようとしているところだった。 

 私は手元の質問リストを見ながら、面接の練習を始めた。これまでの業務経験、転職の理由、自分の長所と短所……どれも、日本での採用面接でもよく聞かれるような質問だ。自分の短所は、という質問に差し掛かると、男性は通訳を通して「短所はない」と答えた。

 この回答が返ってくるのは珍しくない。私は、自分の長所、短所、長期的な展望……といったことを笑顔を浮かべて初対面の誰かに話す、という行為を、仕事を得るために必要なことだとずっと思い込んできた。しかし、それはどうも、日本や米国などごく一部の文化圏の限定的な風習でしかなく、世界の大半の人たちにとってはあまり馴染みがない奇妙な行為らしい、と、各地から難民として来た人々とここで接していく中で実感した。  

 ただ、この奇妙な作法について説明するのも我々の仕事である。例えば、「短所はない」という人に対しては、これは性格的な意味での長所、短所を聞いているわけではないので深く考えなくても良いこと、何か一つ、業務に関係があるものでかつ今後克服できそうな弱点を答えたほうが”ない”と答えるよりは印象がいいこと、などを説明する。無難な回答例として「英語力」をあげるのも良い、なぜなら数ヶ月後には確実に向上しているから、といったことも付け加える。 

  このキューバ人の男性は、こうした説明を聞いて顔を曇らせ、スペイン語で通訳に何かを訴えた。通訳の女性によると、彼は「それでも僕は自分の短所など答えたくない。母国では医療の仕事をしていたのに、倉庫での仕事を得るために自分の短所を言わなくてはいけないのはおかしい。」と述べた。 私は、彼に返す言葉がなかった。その時の私は、とても情けない表情をしていたに違いない。結局、我々はその質問を飛ばして面接の練習を進めた。 


 2)

 また別の日、アフガニスタンとネパールから来た3人の新しいクライアントに対し、スタッフが就職に関するオリエンテーションをしていた。私と、もう一人、イラク出身で在米歴が20年ほどの男性スタッフが同席していた。

 米国ではどの業界でもカスタマーサービスが重視される、という話題から始まり、いつしか話は就職のことから逸れて政治家の汚職の話題になり、イラク出身のスタッフが「途上国では汚職が多いというが、アメリカだって政治家と企業の汚職はある。きれいに隠されてるだけで、額で言えばアメリカのほうが大きい」との持論を口にした。

 その後、アフガニスタン人の男性が口を開き、「僕の国は汚職はあるかもしれないけど、果物は最高だよ。アメリカのスーパーにある果物は見た目は大きくてきれいだけど、アフガニスタンのほうが味は美味しい」と述べた。それについて、部屋の中にいる皆が、アメリカの果物はきれいだか味がない、という意見に大きく賛同した。 


3)

  就労支援のスタッフの仕事には、就職したクライアントがその後仕事を維持できているか、定期的に確認することも含まれる。

 ある日、スタッフがコンゴ出身のクライアントに電話をかける場に同席した。クライアントの母語を話す通訳も部屋にやってきた。彼女もコンゴの出身だ。彼女は部屋に入るなり、壁にかかっていたポスターを一瞥して「へえ……これがアフリカねえ」と苦笑いした。

 UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によるポスターは、随分と前から壁にかけられているようで少し色あせていた。端にAFRICAと大きなロゴがあり、メインの写真は、裸足で、笑顔を浮かべてこちらに駆け寄ってくる大勢のアフリカ系の少年たちだった。

 私にとって、このポスターは部屋の風景の一部でしかなかったのだが、その日からこの子供たちの笑顔を見る度になんだか変な気持ちになった。 

ヨシオ カサヤカ

沼ZINE

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