インド2回目(その1)
話は、2011年にさかのぼる。
(※今回の話は時間が行ったり来たり激しいので、適宜強調していきます。)
1年間のドイツ留学(2010〜11年)を終え、帰国した私(2011年2月末)には「あれっ?」と思うことがあった。友人や家族の態度が、どこかよそよそしく、白々しいのである。(……はっきりモノを言うようになったからかなあ)などと身の程知らずの解釈をしていたけれど、実は理由は明白で、知らず知らずのうちに、極寒のドイツ生活(冬:2010年10月〜2011年2月)の中で、毎日冷凍のハワイアンピザ(2ユーロ)を1枚食べていた私は20キロも増量してしまっていたのである。
某友人には何年か後(2016年)に、「あのころ(2012〜15年)よくガウンジャケットを着ていたけど、縫い目なのか、肉なのかわからなかったよ」と言われた。
もともと(2000〜2015年)〈しまむら〉のオーバーサイズコーナー御用達レベルの体形だったので、それにプラス20キロで、私はもう3桁突入を覚悟し、「……もう3桁になったら大学院をやめてButterfly Loungeで働こう。。。」と覚悟していた(2012年ごろ)けれど、夕方に起きて朝まで論文を書く超不規則な暴食大学院生時代(2011〜13年)でも、身体にリミットがかかったのか、なんとか届くことはなかった(友人のA君には嘘だと言われた(2017年)が断じて届いていない)。
そのまま、大きな身体をぶらさげて生きていただけれども、2015年の夏、本当にショックなことがあって、そのショックのままに、私は病気になってしまった(不調期:2015年8〜10月)。
と言っても、おそらくチルドの餃子に当たったノロウイルスだったのだけれども、連日9度以上の熱が続き、食べ物は食べられず、管のように飲んだ水もすべてお尻から出ていたので(汚い話でスミマセン!)、私は仕事を何日も休み(2015年9月)、どうしても出なければならない大学での説明会には、真っ青な顔でフラフラと倒れそうになりながら電車に乗り、あのころの華奢さは、それはもう、吹いたら倒れるような吉永小百合並みのものであった。
そうして私は、その数週間で、15キロほどやせた(と言うより「やつれた」)のである。
実はさかのぼること半年ほど前、その年(2015年)の2月に、私はさび付いた語学力をどうにかしようと、「とりあえず使う機会があれば」と東京マラソンのボランティアに参加し、あまりの言葉のたどたどしさに参加者の方に迷惑をかけたりもしたけれど、何よりも印象に残ったのは、ゴール地点で参加者が受け取る「ランチパック」の美味しそうなことであった。
あれを食べたい!
しかし、ただ単にコンビニで買ったランチパックじゃダメなのである。ちゃんと、走って、ヘロヘロになって、ときに意識混濁しながら食べるランチパックを、食べてみたい。そんな夢は私の中でずっとしっかり根を張っていた。
話は戻って、2015年冬(11月〜)、ノロにより減った体重も、その後ご飯が食べられるようになったことで少しずつ戻ってはいただけれど、ずいぶん軽くなったので「走ってみるか」と思い至った。もちろん、「ランチパックを食べたい」という不純な動機である。
小さな頃(1990年〜)からクラスで体重がいちばん重かった私は、マラソン大会(2000〜2003年)などでも、呼吸困難もしくは心臓麻痺で死ぬんじゃないかというぐらい呼吸が乱れ、ビリは当たり前、時に用具が片付けられるほどの遅さで、大学時代も最初は部活をしていたので(2006〜2007年)、よく大学通りを走らされていると、あまりに悲愴な顔持ちをしていたので、全く知らないおばさんなどによく「アンタ、がんばり!」と声をかけられたり、さらに、その頃よくピンクのTシャツを着ていたので、気が付けばグラウンドで練習をしている他の部活(陸上部)の内部で「ももちゃん」というあだ名が通用するほどに、その「走れなさ」は周囲に強烈なインパクトを残していた。
そのくらい走れなかった私が、自発的に走りはじめたのである(※とはいっても、繰り返しですが、食欲がモチベーションです!)。そして、それは、習慣になってしまえば、すごく楽しかった。
さらに、また話は戻って、ノロ末期の2015年9月。
私は「キャンセル料が惜しい」というその一点で、数ヶ月前にお金を払っていた友人とのバリ旅行に出かけたのだが、(せっかくバリに行くのだから)と、エリザベス・ギルバート『食べて、祈って、恋をして』を読み始めた。
腹痛を抱えながらも読み進めると、そこには、私が病に陥るほどにショックだったそのことへの、答えのようなもの、が書かれていたのである。
「世間はソウルメイトというのが、何もかもぴったりくる相手のことだと勘違いして、誰もがソウルメイトを求めてる。
だがな、真のソウルメイトとは、鏡となって、あんたが隠しているものすべてをあんたに見せちまう相手のことだ。あんたの目をあんた自身に向けさせ、人生を変えちまうような相手のことだ。
真のソウルメイトとは、おそらく人生で出会う最重要人物のことだ。その人物は、あんたの壁を打ち壊し、あんたを叩き起こす。
だけど、ソウルメイトと永遠に暮らせるか?
無理だ。苦しすぎる。
ソウルメイトは、あんたの人生に入り込み、あんたに別の地層が存在することを教え、そして去っていく。あんたの問題は、ソウルメイトが去りゆくにまかせられねえことだ。
まあ、ゴミ捨て場の犬ころみたいなもんだ。まだなにか味わえねえかと空っぽの缶の底を舐め続けてる。気をつけねえと、永遠に鼻に缶をかぶせたまま、みじめな人生を送ることになるぞ。そいつを捨てちまえ。」
『食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書』(那波かおり訳)
ちなみに当時のFacebookにはこんなことを書いていた。
バリ島の民家は壁に囲まれ、入り口にガネーシャがあり、毎日玄関先にお花が捧げられる。盲目に、伝統があるもの、長い時間受け継がれてきたものに価値があり、より恩恵があると思い込んできたので、いたるところで解体中の寺院を目にして少し驚く。日々の儀式、それも自分で出来る範囲の供物が重要なので、古いものに権威があるというよりかは、自然に「循環」しているような印象。それまで(常に権威に擦り寄る)自分にはなかった価値観だったので、とても新鮮でした。供物も蹴飛ばされたり、車に轢かれたりしていますが、あまり気にされておらず、バチが当たるなんてこともないみたいです。
2日目、腹痛にうごめきながら夢の中にバリの神様が登場。「生きた人間を2人連れてくると言ったのに、1人は死んでいるじゃないか」。身体が冷えて冷えて仕方なかったわたしは、死んでいるのは自分だと、ごめんなさいごめんなさいと繰り返しましたが、それから数日、空っぽになった身体に少しずつ息がみちるように温かさを取り戻すことができました。
あとは、苦しみはそれに耐えられる人の元に進んでやってくるのだということにも気がつきました。してもらえないことを責めるより、何か困ったことを抱えた人がいたときには、自分が手を差し伸べられるようになりたいなと思います。(2015年9月25日)
ケチャダンスに登場したガルーダ
具合が悪すぎて珍しく色白の鎖骨が見える私in2015
空っぽになったお腹の中には、バリ島の新鮮な風が吹き込んでいた。
私はそこで、脱水症状になりながらも、『食べて、祈って、恋をして』の中で、バリ島を訪れた後に主人公が修行することになる、「アシュラム」ことインドのヨガ道場に行こうと心に決めた。
そうして1年後の2016年、機会は巡ってきたのである。
と、ここまで書いたところで眠気が……!
いつもに増して、書いたものがとっ散らかっていますが、次回はちゃんとインドに行きます。
「インド2回目」とタイトルをつけましたが、バリ(とランチパック)の話でした(続く)。
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