洗濯機/本棚/旅の不足(や)
先日、洗濯機が壊れた。脱水になると「ピーピーピー」とエラー音がして止まってしまうようになったのだ。ネットで調べるとふたセンサーの異常で、その部分の回線をショートさせるか配線を結びつければ、ふたが閉まっていると認識されて、再び動くようになるらしい(注・危険)。
どうにか錆びついた上蓋のネジを抜き取って、傾けたりひっくり返したり、しばし奮闘した挙句、それっぽい回線を引きちぎって結びつけてみたところ、ようやく脱水のボタンを押しても動くようになった。以上の行程はもちろんひとりで行なっていたものなので「31歳……強くなったなあ……」とひとしきり感慨にふけってから、さて、溜まった洗濯物を片付けようと「お急ぎ洗濯」のボタンを入れると、「ピーピーピー」と甲高く、今度は洗濯ができなくなってしまっていた。仕方がないので、お風呂の残り湯を低い高さにまで抜いて、洗剤と衣類を突っ込んでから踏みつけて、それから「修理した」洗濯機で脱水する。流石にこんな生活を続けていくのは難しいので、非常用クレジットカードで一番安い洗濯機を買うことにした。回収費も含めて2万5000円ほど。以前は「お急ぎ」でも30分ほど時間がかかり、衣服もすぐに痛んでいたのが、新しい洗濯機は10分で洗濯が終わり、汚れもよく取れる気がする。こんなことなら、早く買い換えればよかった。
前の洗濯機は、上京したときに、祖母が買ってくれたセット家電の一つだった。12年も使い続けて、途中、実家の物置に眠ったり、S荘のときは洗濯機置き場がないので本来裏口だった玄関脇のドアの前、少し下がったコンクリートのところにボンと置いていた。汚れ物を詰めすぎて脇の金属部分が凹んだこともあったし、いまの家になってからは設置部に傾斜があるので止まることもよくあって、よくぞここまで持ちこたえたと思う。
とはいえ、12年。人間の子どもだったら小学校を卒業するほどの年齢だ。どうしてここまで長年同じ洗濯機を使い続けたのかを考えて、そこで、普通の人は、結婚とか、就職とか、ライフステージが上がるにしたがっての転居の際に、家電を買い換えているのだと気が付いた。そうした機会が訪れず、結局壊れて、それも配線をちぎられ、外した上蓋はうまくはまらないままで、ここまで痛めつけられて洗濯機もさぞ可哀想だったと思う。(そうして気づく。前の洗濯機には思い入れがあんなにあったのに、新しいのには全く何も感じないことに。)
洗濯機が新しくなった。そして、私には新たに悩んでいることがある。
それは、本棚の管理だ。
事の発端は、お友達(と呼んでいいのか、やや気恥ずかしいので「知人」にします)が「本棚屋」さんで働き始めたことである。私は彼女の勉強熱心なところ、仕事に真面目なところ、そしておしゃれで笑顔が素敵なところ!が大好きで、尊敬していて、自分には足りない彼女のよい部分が本当に眩しく思えて、当然お店にも伺うことにした。
とはいえ、「本棚」というのが、引っかかる。
我が家には高さ2メートル、両手を広げたぐらいの本棚がすでにある。これは、大学生のときにカラーボックス6個ぐらいに本を分散して入れていたところ、親が購入して送ってくれたものだ。すでに都内で4か所を移り住んでいて、むやみに引っ越しをしていると、問題になるのはその本棚である。あまりに重くて一人では運べないし、当然なかに入っている本も多いので、査定も一気に跳ね上がる。
……ということで、本棚はすでに十分あるし、その中へは、各段に前後ろ2列になって、びっしり本が詰まっている。そして、引っ越してきてから、そしてその前からも、私はたまーーーに調べごとをする他は、その本棚から本を読むことがない。
読みたい本は図書館で借りる。最初は「本棚がもう一杯だから」と、新刊なども(順番待ちをしても)図書館で借りるようにした。借りた本は、こけしの並んでいる飾り棚やベッドやソファの端、カバンの中などに分散され、本棚に並ぶことはなく、そして返却日になると部屋のあちこちから集められブックポストへと帰っていく。
そんなこんなで、本棚には手付かずで、つまり私の本棚は呼吸することもなく、埃が積もるままになっていた。
そこで「本棚屋さん」である。内心「もう、本棚あるし」という気持ちだったのが、行って本当にびっくりした。本棚と言っても、20万円ほどの壁につけられるような大型のものもあれば、1500円ほどの、板で作った箱のようなものもあり、文庫本・四六判・複合型・雑誌サイズが3〜4冊収まるようになっている。本は(その時は)単品販売はせず、テーマごとに選書されて、箱と一緒にセット販売されていた。箱は、大きな本棚の内部にも収まるようになっている。
私はマンスフィールドが気になったので、「はじめてのイギリス文学」セットを購入し、机の隅に置くと、とても不思議な感覚になった。
というのも、カバーをつけて持ち運んだとしても、本はあの箱の中に帰って行く。そして本に帰属場所があることで、ものすごく大事にしようと思えた。しかも、何かの本をおすすめされることは以前にあっても、セットとして、まとまって誰かが選んだ本を読むというのははじめての体験で、まるでセラピーのように思えたのである。新たな世界への扉だと思った。
本棚の可能性に触れ、私は、自分の本棚を見返すと、そこには希望は感じられなかった。
私は、嫌味のように何度も繰り返しているけれども、親が本を読まない家庭に育ったので、近くに本屋もないし、ともかく図書館で常に本を借りて、さらにどうしても欲しい本だけは買ってもらったり、お金持ちの祖母がまとめて送ってきてくれたりした。家が建ってからは自分の本棚があるにはあったけれども、せいぜい数十冊ほどのものであった。
それが、大学生になり、しかも一時期古本屋で働いていたので、本は爆発的に増えていった。小説を読み、授業の課題の本を買い、いつか使うと思いたい語学書、いつか論文に引用したい資料、で本棚はいっぱいになった。
それから時は流れ、大学を卒業して10年近くが経とうとしていて、本棚はほぼ死んでいて、それは、いつか読む・いつか使う・いつか読み返すの「いつか」が訪れないことを意味していた。夢の残骸。時間が足りなすぎるのだ。さらに死んだ本棚を理由に新しい本も買わずにいたことは、自ら可能性を限定することだ。翻訳書を担当するようになってわかったけれど、新しいものがよい、ということは圧倒的な事実なのだ。古いものでよいものはもちろんたくさんあるけれども、新しいことはよいことだということを認めざるを得ない。
私は、一代で、自分の本棚を作ることには成功したけれども、それを管理することは、全くできなかったなあと思う。だから、いまから、少しずつ本棚が呼吸できるようにしていきたいと思っている。
手始めにもう使うことがないと判断した高い研究書や、読み返すことがない漫画などを取り出してまとめた。まだ重なったままなので、これをきちんと処分するにはまだ時間がかかるかもしれないけれど、本棚は少し隙間を取り戻して呼吸ができるようになったようだった。そうして私は本棚の整理を始めた。
同時に、このところずっと体調がすぐれなかった。いろんなこと(読書、映画、ジョギング、ここの更新)に対するエネルギーがなかなかわかず、夜8~9時ごろに寝てしまうことも多かったのも確かだ。「でも、もしかして……」。そういった活動が停滞しているから体が重く、思考がはたらかないのかもしれない。
思い直し、ちょっとずつ、自分のペースで行動なるものに身体を向けようと、エスカレーターを横目に、駅の階段を上るようにしている。
停滞のもうひとつの理由には、しばらく海外へ行けていないというのもあるかもしれない。お金のことも、休日に顔を出さなくてはならない仕事の増加もあるけれども、でも、えいやっ!と行ってしまうべきなのだ。このところ、アジアの若い世代の音楽やカルチャー、そして仕事(出版とかカフェとかコミュニティとか)を聞きかじるにつれ、そんな「勢い」に自分の身をさらせば、少しぐらいパワーがもらえるんじゃないかと期待する。
たまに、「友人が日本に行くから案内してくれ」と、海外の友人から頼まれる機会があったけれど、私も反対にそう頼んでみるべきなのだろう。単に、ガイドブックに載っているおいしいものや、きれいな景色を「再確認」するんじゃなくて(Macbookの画面の方が、私が知覚できるよりもはるかに多くの色彩を表示できる、と聞いた)、その場に身を置いてみたい。コミュニティに入るのが無理でも、少しでもその場に溶け込んでみたい。その場のにおいを身にまとってみたい。もちろん私には見た目も話し方もあるので、まったくに中立の人間、どの人種でも国籍でもない性別も問われない人、になることは無理であっても、その片鱗は味わってみたい。その言葉で育った人のように物事を受け止めたい。
大それた話に行くけれど、翻訳という作業は、本来かけわたしが不可能な二つの言葉のはざまで、とある事柄について、たとえばAという言語で育った人が理解し、受け止めるのと同じように、Bという言語で表現することだと思う。しかし、Aという言葉の内部であっても、成長過程や家庭、学校、会社でつかう言葉は微妙に違うし、各人で、言われた・言われなかった・読んだ・読んでいない・聞いた・聞いていない言葉もあるし、それにいつ出合うかで言葉へのイメージは若干異なる。だから、究極的には自らの経験にまで落とし込み、それが他人でわかってもらえるほどの原イメージに立ち返る必要があるのだと感じる。
なんだか話がいろんな方向に向いてしまったけれども、それも書くことをしていなかったからだと反省して、来月はちゃんと予定通り更新したいと思います。
や
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