夢の話と幻想の結婚(や)
(旅とは関係のないのですが、なぜ大谷翔平が結婚したとして落ち込んでしまうのか、ということに対しての自分なりの分析を記したいと思います。)
あなたにもいないだろうか、実家に帰った時に母親が近況を話してくる「ナントカ君」。
例:◯◯君、仕事忙しいんだって~。◯◯君、この間帰ってきてたらしいわよ。◯◯君、最近海外に出張したんだって、……等々。
◯◯君とは、学校の同級であったりするので、どうやら酔っ払った時に「知り合いかも」からクリックしたか何かでFacebookで友達だったりする。しかし、メッセンジャーを使った形跡もなく、SNS中毒の自分とは違って頻繁に近況を更新することもなく、プロフィール画像も風景とか野外の彫刻とか、あるいは自然の中で超小ちゃく全身が写っている写真だったりして、顔が出ない。とすると、卒業以来、もしかしたら同窓会か何かで会ったかもしれないけれど、今どんな見た目なのか詳しくはわからないし想像もつかない。又聞き、もしくは母レポートにより、どこでどんな種類の仕事をしているかは何となくわかるけれど、学生時代のおぼろげな記憶の中で冷凍保存された、学ランを着たままのイメージの◯◯君。
恐ろしいのは、最初に例示した「◯◯君レポート」の末尾に、こんな一言が付け加わっていることがあることだ。
「◯◯君、まだ独身なんだって~。アンタ、結婚してもらえば?」
さらに恐ろしいのは、私みたいな単純人間(よく言えば「素直」)にとっては、こんな母のどうでもいい一言を、自身の内部1%ぐらい(手足の第一関節から上ぐらい)は真に受けているらしいのだ。
そして、ある日、母がこう言うと、背筋が凍る感じがする。
「あ、◯◯君、結婚したんだってねー!」
もしくは◯◯君のFacebookのステータスが変わった日か。私は引きつった表情のまま「おめでとう!」と書き込む。もちろん私のiPhoneは優秀な予測変換をしてくれるので、打ち込むのは「おめ」だけ、もしくは「お」だけである。
別に何の連絡もとっていないし、自分が白ドレスを着て彼の隣にいる想像すら、しようとしても全く何の断片すら浮かばないのに、相手の顔も思い出せないのに、何の思い入れもないのに、なぜこんなに落ち込んでしまうのか。私だけ頭がおかしいのか。◯◯君ならまだ会ったことがあるからまだ分かるけれど、今の私であれば、ある朝にテレビで「祝!大谷翔平選手結婚」と言っていただけで、スイーツバイキングでやけ食いしてしまう自信(?)がある。
つまり、好きでもない人との可能性がなくなってしまったことに対して、露骨に落ち込んでしまうのだ。
なぜなんだろう、と突き詰めて考えると、私は今までの経験則で、あるいは自身の偏狭さから、自分に自信がなく、それを「選んでもらう」という希望で補っていたように思う。私を好きになってくれる人はいない。今まで男性に向けられた言葉の中で、おそらく最上級は「思ったよりは可愛かった」とかそんなものである。ひどい。でも、私は追いかけて追いかけて振り向かせないと、そんな可能性が生まれないことも何となく気づいていた。もしくはそう思い込んでいた。そして、別に追いかける人物を好きなわけでもない。可能性があるから? そんなもの? あるいは、執着? だから相手もそれを察していたように思う。自分でなくてもよい、ということを。
先日、おかしな夢を見て、その中で私はドイツでピアノを学ぶ留学生で、初老の、背の小さなふくよかで白髪を上に束ねた女性の教師にレッスンをつけてもらっている。
なんども何度もレッスンを受け、ダメだダメだ、を繰り返してもなお継続し、とある瞬間、私は椅子から飛び上がってしまうほど、演奏の何たるかを掴み、「これが『私の』演奏なんだ!」と、ピアノ教師と手を取り合って喜ぶ。
しかし、夢はそこでは終わらない。(終わればいいのにー!)
それから時間が経って、またもやレッスンの際、老女は私に苦言を呈す。
「あなたはチャイコフスキーコンクールで優勝するか、ピアノを諦めて地元に帰って結婚するかの二択で物事を考えている。それはおかしい。あなたは自分のスタイルを確立したのだから、それは、チャイコフスキーコンクールで優勝するよりもある意味で重要なことなのですよ」
目覚めて、私はピアノではない(というのもピアノを弾いたのは何年も前である)大きな枠組みで、この夢を反芻し、解釈しようとした。そしてまた、地元に戻るということが自分にとってどれほどの恐怖、諦めの象徴であろうとも、私はそこに甘んじていたことも十分に理解できた。東京での暮らしはキツイ。ここ数年、きちんとした健康診断も受けていないけれど(というのも協会けんぽが35歳以上の健康診断しか負担してくれないからである。どうして保険料を払っているのにそんな差別するわけ?)、例えば病気になって会社を休めば、家賃すら払えない。米も買えない。頼れる友達もいない。根無し草でいることは気楽だけれど、根を張れないでいることは私の欠点でもある。家族を築くこともなく、その想像もできないまま、東京に溶け込めない中で、いざとなれば地元に帰る、親に養ってもらうという選択肢は、やはり捨てきれずにいたのだろう。(でも一方で、親が病気になったら、どうするんだろう、という大きな不安もある。最近「親の介護」に特化した保険ができたそうなので、資料を取り寄せてみよう。)
そんな中で、白雪姫の王子のように、もしくは「サブリナ」の映画のように、通りすがりででも、昔の知り合いででも、自分を(何の理由なしに)選んでくれる人、とまではいかなくても、受け入れてくれる人がいたら良いな、というのは、自分の深層心理の切なる願いであって、その願いが触手をあらゆる方向に伸ばして、そのうちの一つが、◯◯君という言葉の響きに触れていたのだろう。触手が切り離されるから、というよりも、もともと何の繋がりもなく、切り離されていたことを理解するから、私は露骨に落ち込んでしまうのだ。その必要がないことでも。
ジャン・ジュネは、彼にとってのすべての創作活動は、夢の中からヒントを得ている、夢の中からイメージを持って帰って、それを展開しているに過ぎないと言ったそうであり、村上春樹にも『夢を見るために僕は目覚めるのです』という本がある。私もジュネのそれを聞いてから、夢を見た際には(見ないことも多い)、忘れないうちにメモなどをしている。先日は夢の中で、私が「お兄ちゃん」と呼ぶ、他社の敏腕編集者さんが、お料理が非常に上手なことでも有名なのだけれど、海苔巻きの中に、細かく刻んだキュウリをピンセットでつまんで、米飯の中に文字列を作っていた。それが文章となったところでクルクルと巻き、それがその世界では大変な話題となっていたーー。
と、激しく話が脱線してしまったが、私にとって、しかし確かな幸福は、私がそれを理解できていなくても、選ばれることではなく、自分のスタイルをつかむことなのだ。それを私は自分が着るものや、周りを囲むもの、そして言葉とで成し遂げたいと思う。
こんな大事なことを教えてくれたピアノ教師には、彼女の顔はしっかりと思い出せないけれど、本当にお礼を言いたい。Danke sehr!
余談だが、この文を書くためだけに、私は昼1時から2本の缶ビールを空けた。やはり素面では向き合えない辛さがあるからだと思う。アルコールは意識をぼやかす分、曖昧になった視野は受容をほんの少し容易にしてくれる。
さらに余談だけれども、先日、思いがけない機会があり、信じられないけれども、新しいコラムの仕事をいただけそうである。以前から「コラムの仕事の収入が倍にならないかなあ〜」と思っていたけれども、月に1回のコラムが1媒体から2媒体になったのでその夢は叶えられそうである。思い続ければ叶うのだな〜と感激すると共に、もう少しきちんと連載のイメージを固めたい。しかし、肩に力が入りすぎてしまっているのも確かで、一方ではなかなか原稿が集まらず「沼」も枯れてしまうのじゃないかと心配であるけれども、場所を占めておく、座り続ければ岩も暖かくなるように、その場所を確保しておくということの大事さを知っているし、常に自覚していきたいと思っているので、ここでの文章の書き散らしも続けたいと思っています。どうぞよろしく。
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