2019欧州(1日目・ヘルシンキ)(や)

現在ヘルシンキ、9月22日(日)午前5時半。昨日、私は成田空港から日本を発った。2015年以来の欧州である。
はじまりは去年の秋。声をかけてもらい、渋谷のおしゃれホテルで開かれたドイツ語の翻訳賞の授賞式に顔を出すと、賞金を出している企業関連と思われるビジネスマンたちがその場の9割(体感)を占めており、その日のメインゲストである、オーストリアから来日した作家さえテラスで一人ポツンと立ち尽くしている瞬間があるほどだった。ひらひらのロングワンピースで馳せ参じた私も完全にその場から浮いてしまい、知らないスーツの人に「あの芸大の人ですか?」と話しかけられたほどで(誰のことだったんだろう……)、仕方ないのでシャンパンを何杯も煽ってから、招待くださった方にお礼を言って帰ったのである。
その数日後、招待くださった方から連絡があり、1ヶ月の語学研修への助成制度があるので応募してみるように勧めていただいた。従来からそういった語学研修があることは知っていたけれど、ドイツ語の教員(東京では、私立公立問わず高校でもドイツ語を学べるところが結構あって、大学院の先輩が何人か教えている)向けだと思っていた。私のような会社員でも申し込める奨学金があるとは知らず、教えてもらったウェブサイトを見ると応募締め切りが何度か延期されていた。
ハイデルベルクに留学したのはもう10年近くも前。その頃にはスマホもあまり普及していなかったし、2015年の移民受け入れの(もちろん)前だった。使われている言葉も変わっているはずだし、なによりも自分がドイツ語を忘れてしまっている。1ヶ月も会社を休めるかはわからないけれど、もう7年も勤めているので、断られたら辞めてもいいかもしれない。そんな覚悟で申し込み、好きな都市、好きな開始月を選べたので(助言を受け)10月のベルリンを選び、幸い、本国の承認も下りて奨学金(コース参加費、渡航費)をもらえることになった。通知が来てから会社にも相談したところ、有給で休ませてもらえることにもなったので(というか後述するけれど現地での仕事もかなり多い)それに向けて仕事を前倒し前倒しにし、ここ数ヶ月ホントに毎日ヘロヘロとしていた。ついに8月には体調を崩し、そのまま扁桃炎を悪化させて、毎日耳鼻咽喉科に通う生活を出発直前まで送ることになってしまう。そんな、不安でいっぱいな研修旅行だったけれど、昨日ヘルシンキに降り立った瞬間、見るからに寒そうな灰色の空気の中で、空港の緑地部分に白や黄色の小さな野花がたくさん咲いている様子を見て、温かな気持ちがこみ上げてきた。

でも、なぜヘルシンキ?とお思いになった方へ。同じような疑問を持ったフィンランドの入国管理官から私は足止めをくらい、長時間をかけて説明することになった。

つまり、最初はベルリンでの語学研修だった(9月30〜10月24日)。その間にフランクフルトブックフェアがあるので、そこにも寄るつもりでいた。そこから、以前出版助成金をもらった「オランダ文学基金」さんから、ドイツに来るのだったらついでにアムステルダムに寄ってほしい、ホテル等は準備するし出版社とのミーティングをアレンジする、と言われて喜んでアムステルダムへも立ち寄ることになった(9月23〜25日)。そのうち、「北欧語翻訳者の会」さんからスウェーデン・ヨーテボリでのブックフェアの存在を教えてもらい、去年刊行したコミックの作家さんも参加するというので、語学研修が始まる前に立ち寄ろう……と思っていて、ダメ元でフェローシップにも申し込んだところ日本の出版社からの申込者が私しかおらず、しかも刊行実績もあるとのことで招待してもらえることになった。ホテルを準備してもらい、各種プログラムにも参加することになった(25〜27日)。さらに、以前翻訳した『マッドジャーマンズ』の作家さんにも連絡すると、ハンブルクでコミックフェスティバルがあるのでよかったら来てほしい、と言う。開催日を調べると9月28〜29日で、しかもヨーテボリからハンブルクへは安い直行便もあるので、土曜日(28日)の朝に飛ぶことにした。さらに、以前刊行したスペインコミック『亀裂』の出版社から、フランクフルトブックフェアの期間中にバスクの「ゲチョ(Getxo)」なる都市でコミックフェスティバル(10月19〜20日)があるので来てほしい、ホテルは準備する(と言われたが後に自費に……)とのことだったので、訳者の上野くん(バルセロナ留学中)も来てくれると言うし、フランクフルト(10月18日のみ滞在予定)から飛ぶことにしたのである(ちなみにビルバオからベルリンへの飛行機が高いので、帰りはマドリードまでバスで移動してそこから直行便で帰ることになった)。しかもその前後には語学試験の日程があるので、ベルリンで受けるつもりである。ああ、自分でも混乱する。

ここまでを説明し、入国管理官には「じゃあ何都市に行くんだ」と問われたので、数えると7都市のようである。さらに「日本の帰国日は?言ってみろ」とのことで、「10月……27日ぐらい?メイビー?」と答える。と、電子チケットを見せるように言われ、「26日と書いてある。間違えないように注意して」と笑いながらスタンプを押してもらえた。

それで、ヘルシンキに来た理由であるけれど、これも少し話をさかのぼる必要がある。

前述の、高校でドイツ語を教えている先輩のうちの一人はものすごい頻度で、しかも予算をかけずに海外旅行に出かけている。安い航空券探しがものすごく得意なので、アムステルダム着、ベルリン発で、なおかつ1ヶ月以上に膨らんでしまった今回の滞在についても航空券探しを手伝ってくれた。航空券は、往復間の期間が1ヶ月を超えると高くなる。先輩が見つけてくれた最安プランは、乗り換え3回ほどの帰路30時間以上かかるプランだった(往復9万円)。帰国後すぐに出社しなければならないので、さすがに体力が持つか不安になっていたところ、次に安いヘルシンキ経由の便を見つけてくださったのである。おまけにヘルシンキに一泊しても、航空券の料金はほとんど変化しないという。そのときはヨーテボリに行くことがまだ決まっていなかったのでアムステルダムの滞在が1日減っても、数年来の目標である「マリメッコのアウトレットに行きたい」を達成したいと、ストップオーバーをすることになった。

ということで、ヘルシンキへはマリメッコアウトレットに寄るために来たのです。世俗的ですみません。

けれど、「フィンランドってどこだ……」と思いながら来てみると、そしてすぐには、この国と自分の間にあるものの存在について分からなかったのだけれど、街を歩き、見当がつかない言葉での会話に浸るにつれ、様々なことが思い出されて仕方ない。
まずは、ヘルシンキの空港へ着陸した機内で、上記のフィンランドの位置について疑問に思った次の瞬間には、脊髄反射のように「フィンエスラトリポ……」と頭に浮かんだ。これは、世界史の授業で隣の席だったSが、ある日、「ね、『フィンエスラトリポチェコハンユーゴ』って繰り返して言ってみて」と話しかけてきたことに端を発する。スカンジナビア半島の上から、フィンランド、エストニア、ラトビア、ポーランド、チェコ(&スロヴァキア)、ハンガリー、旧ユーゴスラビア、が並んでいると言うのだ。一度覚えてしまったら、呪文のように、15年経った今でもこんな風に頭に浮かんでしまうのである。
そして、ヘルシンキ駅へ着くと、その街並みを見ながら、「乙女よ、余人のためではなく我がために珠の連なる首飾りを巻き、十字架を胸にかけよ。乙女よ、我がためにその美しき髪を編み、柔らかきリボンを結べ」と『カレワラ』の一節が浮かぶ。この言い回しが何度も引用される世界名作劇場「牧場の少女カトリ」は、全話見ていたのだけれど、フィンランドの話だとはまったくもって忘れていた。カトリはお母さんが出稼ぎに行き、自分も奉公に出るのだけれど、親切にしてくれるお金持ちに連れられて都会に出たときにレーニンを見かけるシーンがふいに出てきて、フィンランドとスウェーデン(そしてロシア)との複雑な関係などを思い出したりした。
さらにバスでヒジャブの女性を見て、『亀裂』でもフィンランドが移民流入(対策)の前線として扱われていたことをハッと思う。
何かを見ても何かを思い出す。とはヘミングウェイのセリフらしいけれど、前よりも私は、旅行の間に自分の考えの中に沈み込むことがなくなった。それは自分の殻が分厚くなってきたことが理由なのだと思う。外から揺るがされない分、どこにいても自分でいることができるので、自分について向き合う必要がないのだ。代わりに景色を見て、人の会話を聞いて、空気を吸って、何かを絶えず思い出しては光景へと投影している。「見ることを学ぶ」とはこんなことを言うのかもしれない。そして時差ボケで目が覚めたまま、時刻は朝6時半へとなっていた。
(や)

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