雨と雪(ヨシオ カサヤカ)
ある場所特有だと思っていた習慣に、遠く離れた場所で再び遭遇することがある。
ミャンマーでは、雨が降ったとき、頭にビニール袋をかぶる人がいた。もちろん傘を使う人もたくさんいるが、小さめのビニール袋を頭にかぶって雨に濡れるのを防いでいる通行人やサイカーの運転手をよく見かけた。東京では一度も見たことがなかったので最初はなんだかびっくりしだったが、両手を使えるし雨がやんで使い終わっても場所を取ることもないので、頻繁に雨が降ったりやんだりする土地では傘より機能的なのかもしれなかった。
ミャンマーの外で再びこれを見かけたのは、ビザの手続きで一時滞在したサンフランシスコのバスの中だった。ダウンタウンから、「第二のチャイナタウン」と呼ばれるリッチモンドという地区に向かう途中だった。その日は小雨が降っていた。私たちのあとにバスに乗り込んできたアジア系の中年男性は、頭にビニール袋をかぶっていた。私は思わずおじさんの頭を見つめてしまった。私の視線を感じたらしきおじさんは、「どこで降りたいの?」と声をかけてきてくれた。サンフランシスコの地理に疎い新参者が無言で助けを求めていると思ったのだろう。結局私たちの目的地は同じ停留所だった。バス停につくまでの数分間で、おじさんが香港出身でサンフランシスコ在住30年であると知った。おじさんは全体的に白髪染めしていて、それは少し赤紫がかった茶色だった。
バスを降りておじさんと別れたあと、思いがけない親切に感謝しながら、香港の人も(しかもサンフランシスコで暮らしていても)雨の日にビニール袋をかぶるんだ……!と興奮した。誰にも見向きもされないけれど密かに存在しているミクロな人類の普遍性を見た気がした。その後アメリカで生活し始めてからは雨の日にビニール袋をかぶる人を見かけず、この習慣について2年ほど特に思い出すこともなかった。
しかし、昨年の暮れ、『私みたいなアメリカ人 (American Like Me:Reflection onLife Between Cultures)』(注:未邦訳なので誰か翻訳・出版してください)というエッセイ集のおかげで、ラテンアメリカ文化圏でも人は雨の日にビニール袋をかぶるものだと知った。
同書は、TVドラマ「アグリーベテイ」や「スーパーストア」の主演女優アメリカ・フェレイラが発起人となり、アジア、アフリカ、中米など非欧米圏の、あるいは先住民のルーツを持つアメリカの著名人31人の、子供の頃の思い出や、複数の文化にまたがる自分のアイデンティティに関する、一人称のショートエッセイを集めたものだ。寄稿者は、ランデル・パクやクメイル・ナンジアニなどのハリウッド俳優、ミッシェル・クワンやジェレミー・リンなどのスポーツ選手、政治家のホアキン・カストロ(2020大統領選に立候補し敗退したフリアン・カストロの実兄)、大ヒットしたブロードウェイミュージカル「ハミルトン」の脚本家リン・マニュエル・ミランダなど幅広い。フェレイラ自身も、ホンジュラス出身の両親の元に生まれた移民2世で、彼女の文章も31のエッセイの一つとして収録されている。
あるエッセイでは、ラテンアメリカのルーツを持つ筆者が、祖母がアメリカに移住してからも雨の日には傘をさす代わりにビニール袋をかぶっていたこと、それが子供心にちょっと恥ずかしかったことを書いているのを見つけた。この箇所を読んだとき、アジアとラテンアメリカが自分の中で少し近くなった。
(本が手元になく、この著者が誰だったのか、彼の祖母が正確にはどの地域の出身だったのか、米領プエルトリコだったのか、ベネズエラやエルサルバトルなど中米だったのか思い出せなくてもどかしい。)
この本に記された一人称の物語はそれぞれ異なっていて、読み手である自分の体験ともちろん違う。にも関わらず、雨の日に人々がかぶるビニール袋のように、「実はこれって意外にいろんなところに潜んでいるのではないか」と思える情景に遭遇する。
パキスタンで生まれ育ったクメイル・ナンジアニは、留学生として住み始めたアイオワ州で雪を初めて見た瞬間を回想する。
I saw snow for the first time. The first time you see snow, it is beautiful and terrifying. I was standing outside in a cornfield, watching it fall slowly from the sky. I had never seen anything fall slowly from the sky before. I had seen rain and I had even seen hail, but those fall fast. And here I was, watching these beautiful white flakes fall slowly from the sky, and it seemed like the whole world was in slow motion, except me. That I was moving at a different speed from everything around me.
僕は雪を初めて見た。初めて雪を見たとき、それは美しくて恐ろしかった。僕はトウモロコシ畑の外に立って雪が空から降ってくるのを見ていた。今まで、空からゆっくり降ってくるものを見たことなんてなかった。雨や雹なら見たことはある。でも雨や雹は速く落ちてくる。今、僕は美しい白い欠片が空からゆっくり落ちてくるのを見ていて、それは自分以外の世界全体がスローモーションで動いているようだった。僕の周りの全てのものが、僕と違うスピードで動いているような。
私はこの一節をとても美しいと思った。とりわけ、I had never seen anything fall slowly from the sky before. という一文を何度も何度も心の中で反芻した。彼のように、雪と雨を、空から落ちてくる速度の違いで捉えたことがなかったからだ。だから、彼の目を通して見る雪は、私にとっても初めて見る雪だった。
同時に、この文章は、過去に読んだ別の物語の一場面を想起させた。ドイツのグラフィックノベル「マッド・ジャーマンズ」で、出稼ぎ労働者として東独にやってきたモザンビーク人の主人公ジョゼがベルリンで雪と初めて遭遇するシーンだ。
こちらはグラフィックノベルなので、その情景は文章ではなく絵で表現されている。そして、クメイルが現在ハリウッドで活躍する実在の俳優であるのに対し、ジョゼは、何人ものモザンビーク人当事者からの取材を元に、物語の語り手として筆者が創作した架空の人物である。パキスタン、モザンビーク、留学、出稼ぎ、米国、東ドイツと、彼等の置かれた背景は異なる。彼等の目を通した雪の描きかたも違う。それでも、脳内のスクリーンでは、誰もいないトウモロコシ畑の傍で灰色の空を見上げるクメイルの顔からカメラがゆっくりとズームアウトしていき、アイオワ州から、そして北米大陸から遠ざかり、いつの間にかベルリンの雪景色に着地した。雪の降らない場所から来た人間が初めての雪の中に立つ一瞬は、世界のあちこちで発生し続けているんだな、とこれまで考えもしなかったけど当たり前なことに気づいた。
「American Like Me」は絶対に誰かに翻訳して欲しい。同時に、日本に住む、多様なルーツを持つ人たちの体験談を集めた「私みたいな日本人」も誰かに企画・出版して欲しい。2017年から発行されているウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」は、今現在、日本語で気軽にアクセスできる文章としては一番「American Like Me」と近い趣旨とインパクトを持っているのではないかと思うけれど、
できればこうした内容が紙の本として、全国の書店で誰もが目に入るところに並んで欲しい。
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