不要不急の沖縄日記②(4月1日~10日)(野田まりえ)

前回(2月中頃~3月末)はこちら





4月1日(水)

 息子の熱は上がり、39度~40度が続いた。軽い咳もしていて、つらそうだったので、近所の小児科に連れていった。

 かかりつけの小児科にネットで予約をいれた後、心配性の夫が、咳と発熱の症状だが普通に受診して良いか問い合わせると、小児科の窓口では判断がつかなかったようで、保健所に電話するように言われた。

 沖縄保健所からは、コロナウイルス陽性者との接触が無いのであれば、PCR検査の対象にはならず、普通に小児科を受診して良いとの回答だったので、その旨を小児科に再度電話して伝え、予約時間に合わせ、私が車で3分の距離の小児科に連れていった。

 小児科についたとたん元気に遊ぶ息子を横目に、看護師に症状を伝え、診察の順番を待つ。優しいおじさん小児科医からは、コロナウイルスに関しては、普通の診察で陽性判断はできないこと、人との接触を減らすことが安心につながることを丁寧に説明された。息子は、喉からくる風邪の可能性が高いが、3日間熱が下がる様子が無いときは、4日目に再度受診して欲しいと伝えられた。

 大学教員の夫は、その間に大学に行き、私を扶養に入れる手続きについて確認した。私は、ハローワークに行って、扶養に入るのが得か、失業手当をもらうのが得か、フリーランスでどれくらい仕事をしたら失業手当の受給に該当しないかなど、相談をしてから検討する予定だったが、ハローワークの窓口に行くのが嫌になったので、扶養に入ることにしたのだ。窓口業務をしていて、日々多くの人と接している人に会いに行くのが怖かった。こんな気持ちになる自分も嫌だったが、私にとって1歳半の息子を守ることは、私が感染しないことなので、もう仕方がない。窓口業務をしている人は、どんな気持ちで日々仕事をしているのだろうか。小さい子や高齢者と一緒に住んでいる人もいるだろうし、妊娠中の人もいるだろうと思うと、早く休業の指示を出さない上の人間に腹が立った。

 私と息子は家に帰り昼食をとり、夫の帰りを待った。夫は3時過ぎに帰ってきて、それから寝るまで、いつも通りに過ごした。夫は、いつオンライン授業に切り替えてもいいように、また、自宅パソコンで仕事ができるように、パソコンの設定をしていたが、最近パパの抱っこ以外は受け付けない息子にしつこくつきまとわれて、作業が進まないことからイライラしてきたのがわかった。一度、足元にまとわりつく息子に怒鳴りそうになるのが、気配で分かった。夫は、大きく息を吸って怒鳴るのを堪え、息子を抱っこし、パソコンに触ろうと手を伸ばす息子をあやしつつ、パソコン作業に戻った。

 安倍総理は、全世帯に、2枚ずつ布マスクを配ると発表した。


4月2日(木)

 熱のために夜泣きがひどかった息子が、朝も泣きながら起きた。夫が抱っこし、私が朝食の準備をする。熱が出ているわりには、息子はよくご飯を食べた。早く熱が下がって欲しい。

 夫は、夜8時から、はじめてのZoom会議に参加していた。私は息子を連れて寝室で寝かしつけをしていたが、会議の途中に、息子が、水が飲みたいと騒ぎだした。息子を抱っこし、会議に映り込まないように、また、息子が大声で「パパー」と呼ばないように、素早くマグを取って、寝室に戻った。会議はすぐに終わり、夫が寝室に来た。息子は、夫の上で寝たがり、可哀そうな夫は一晩中お腹の上に11キロの息子を置いて寝た。


4月3日(金)

 息子の熱はなかなか下がらない。朝ごはんも食べず、大好きなバナナも拒否した。グズグズと機嫌が悪いまま、お昼寝をはじめた。すやすや眠る息子の額を触ってみると、熱が下がっていた。私は、普段は信じてもいない神様に感謝した。

 夫は、仕事に行った。職場から、使っていないパソコンスクリーンを持って帰ってきた。

 そして、なぜかニンテンドースイッチとマリオカート8 デラックスも持って帰ってきた。外出を自粛している私がストレスを溜め込まないように、中古で買ってきたらしい。私は、別にゲーム好きではないし、ゲームよりも、室内で運動が出来るようなストレス発散グッズが欲しいと思ったが、夫がニコニコして楽しそうだったので、喜んでいるふりをした。このゲームは夫用ではないかと怪しんだが、彼のストレス発散になるのならば、間接的に私の不安も軽減されるのだから、それはそれでいいと思うことにした。

 子どもを寝かしつけてからやってみると、これが意外と楽しかった。子どもを産んでから、子育てと家事と仕事ばかりしていた。「必要ないけど楽しいこと」が、私の生活から削られていたことに気付いた。これから家で長い時間を過ごすなら、楽しいことがたくさんないとやっていけない。私も、夫も、息子も。

 やはり、息子にトランポリンを買おうと思う。


4月4日(土)

 沖縄県で、新たに5人の感染が確認された。

 私は、フェイスブックで回ってきた、沖縄県でのコロナ感染拡大の対策強化を求めるオンライン署名に、署名した。

 息子は物凄く不機嫌で、何が気に入らないのか、一日中暴れまくっていた。夜、お風呂に入れた時に、お腹と背中に発疹があるのを見つけ、発熱の原因が突発性発疹だとわかった。

 突発性発疹は、大人が持っている常在菌を赤ちゃんが取り込むときに発熱するだけなので、周りに移らないし、発疹にかゆみが無い。あまり害はないタイプの病気と言える。目立った症状は、4、5日続く高熱、熱が下がってからの発疹と猛烈な不機嫌だ。赤ちゃんの不機嫌は怖い。息子の不機嫌に、引きずられないぞ、と自分に言い聞かせる。


4月5日(日)

 シーミー(晴明祭)に備え、夫の実家の墓掃除に行くことになった。家族3人で夫の実家に行き、夫は義父と墓掃除に、私と息子は、義母と一緒に犬の散歩に行った。

 夫の実家にはピーナッツが3袋あり、ご飯には枝豆も入っていて、義母は、テレビで見た助言に従い、感染症予防に、ピーナツと枝豆を真面目に摂取しているようであった。

 昨日感染が判明した5人のうち1人が、私たちの住む市に住んでいることがわかったので、息子をしばらくは保育園に行かせないことに決めた。それは、私が家で、一人で息子を見るということで、私は働けないということだが、いまはそれがベストだと思う。やはり夫の扶養に入らずに、失業手当をもらおうかと考える。でもハローワークに行きたくないので、すべての手続きをオンラインか郵送でできないか、あとで調べなくては。

 東京にいるママ友たちに、保育園を休ませること、息子が突発性発疹になって、発熱中は気が気じゃなかったことをラインした。偶然にも、他に2人も、子どもが突発性発疹になっていたようだ。やはり発熱中は不安だったようで、お互いに、看病お疲れ様と言い合った。そして、数日続く不機嫌の日々を、頑張って乗り越えようね、と励ましあった。これから私たちは、子どもが風邪を引くたびに、ドキドキしながら暮らすのだ。不安な気持ちを、シェアできる友人に恵まれてよかったと思った。


4月6日(月)

 保育園に、息子の熱は下がったが、新型コロナウイルス感染拡大の状況を考え、今月いっぱいは保育園をお休みすると、ラインした。その場合、保育料と給食費の扱いはどうなるのか訊いたところ、今回は保育料半額、給食費無しということにしてくれたが、他にも休む人が多く出た場合には保育園の経営が危ぶまれるため、その際はまた考えさせて欲しい、との返事だった。

 私の息子が通っている保育園は、とても小さな認可外保育園で、認可保育園に入れずに待機児童となっている息子は、その保育園が潰れたら、行き場を失う。もし私たちのように、子どもを預けず、半額の保育料しか払わない親が複数人出たら、そしてそれが長期化したら、園は潰れる。コロナウイルスの影響で親が失業し、多くの子どもが退園しても、園は潰れるかもしれない。コロナウイルス感染者が出ても、きっと園は潰れるだろう。今現在も、ギリギリのところで頑張っているような園だ。

 私は、保育料について尋ねたことを、申し訳なく思った。黙って全額払えばよかった。同時に、保育園に子どもを預けられないと私の収入はゼロなので、少しでも出費を抑えられてほっとする気持ちもあった。でも、保育園が潰れたら私の収入はずっとゼロなのだから、ここはやはり通常の保育料を、何も言わずに納めるべきだっただろうかとも思うので、やはり保育料のことは訊かなければよかった。

 この日は、夫の実家に遊びに行った。夫の実家に行く途中、生地屋さんの前に行列ができていた。古臭い雰囲気で、お客さんが入っているのを見たことが無い生地屋さんだ。何事かと思ったが、どうやら布製マスクを作るための布を買うための行列らしかった。夫の実家で地元紙を読むと、那覇の手芸店が人で溢れかえっている様子が報じられていた。沖縄のあらゆるところで同じことが起きているのだろう。

 相変わらず息子のイライラは続いている。突発性発疹は、別名「不機嫌病」というらしいが、本当にそうだ。育児書にも、主な症状は不機嫌、と書いてある。

 息子のイライラに引きずられ、夫もイライラし始める。夫の実家へ車の中で、信号が赤になるたびに大泣きして絶叫する息子に、夫が大声で怒鳴った。夫も、突発性発疹が息子の不機嫌の原因だとわかっている。ずっと、イライラを抑えて、必死に明るく振舞っていた。コロナの影響で、大学の授業に使うオンラインツールに慣れなくてはならず、いつも時間が無く、彼は疲れていた。

 ワンオペ育児という言葉がよく聞かれるが、ツーオペでも育児は大変だ。片方が仕事をしている間に、もう片方が育児をする。片方が家事をしている間に、もう片方が育児をする。休む時間なんてない。私たちは、もうずっと長いこと、休んでいない。

 しばらくすると、夫は気を取り直して息子に話しかけ始めた。

 私は、なんとかして夫を休ませなければ、と思った。

 その日の夜、二人でマリオカートをした。

 沖縄では、また新たに6人の感染が確認された。


4月7日(火)

 県内で、新たに12人の感染が確認された。

 私は、保育園に息子を預けない判断をしたことは、やはり正しかったのだと思った。

 安倍総理が緊急事態宣言を出したというニュースを見たが、結局のところ、どういう宣言なのか、よくわからなかった。

 今日は、夕方まで雨が降っていた。息子は退屈してイライラしっぱなしだった。

 夕方、少しだけ散歩に出た。

 息子は車が好きなので、大きな車が通るたびに立ち止まり、「ブーブー」と叫ぶ。15分程度の散歩だったが、外の空気を吸うのは気持ちが良かった。

 息子は1歳6か月になった。


4月8日(水)

 私はもう、県内の感染者を数えるのをやめた。

 大学時代のイギリスの友人が、久しぶりにフェイスブックでメッセージをくれた。大学卒業以来、繋がってはいたが、あまり交流の無かった友人だった。イギリスは外出禁止なので、暇になったのだろう。フェイスブックでは交流してこなかったが、在学中はとても仲の良い友人だったので、私は、嬉しかった。国際協力の仕事で知り合ったアフガニスタンの友人たちとも、フェイスブック上の交流が増えた。アフガニスタンの首都カブールもロックダウン中なので、暇なのだろう。


4月9日(金)

 義母から、シーミーのお誘いがきて、来週月曜日に、家族で集まることになった。

 シーミーは、沖縄におけるもっとも重要な家族行事の一つで、いうなれば、「お墓のお盆」だ。義父は長男なので、普段なら多くの親戚が集まるのだが、今回は義父、義母、夫、私、息子だけでやろうということになった。

 また、義父の親戚に不幸があり、明日執り行われることになった葬儀には、義父だけが代表で参加することになった。私は、とても小さなお葬式を出す喪主の気持ちを思うと、なんだか悲しくなった。

 夫は、相変わらず大変そうだった。大学からくる新しい通知、学生からの問い合わせメールへの対応に追われていた。1歳半の息子は、夫がアイパッドを手に持つと、「アイパッ!!アイパッ!!」と足にまとわりつき、パソコンをつけると机によじ登ろうとする。息子を夫から引き離そうとすると、大暴れして泣きわめき、床や壁に頭を打ち付けて抗議する。夫を仕事に集中させる唯一の方法が、お外へ散歩に連れ出すことだったが、あいにく今日は雨だった。

 この日、私は、紙製品の使用を減らすため、息子のトイレトレーニングを始めていた。息子にオムツを穿かせず、おしっこが漏れるたびに、床を拭き、ズボンを穿き替えさせた。トイレトレーニングは私の責任で実施するつもりでいたが、息子が常に夫にまとわりついているため、息子がおしっこをするたびに、夫も振り回されることになった。朝はとても乗り気だった夫が、夜には疲れ果て、トイレトレーニングの中止が要請された。


4月10日(土)

 私は、子どもを産んだ後に、産後ケアの教室に通っていた。バランスボールに乗って、飛び跳ねながらエクササイズをするのだが、とても楽しい。イライラには有酸素運動が効果的であることを、私は産後ケアを通して知った。

 昨日の夜、産後ケアのインストラクターから、Zoomでのエクササイズクラスのお誘いが届いた。今日の朝5時半開催だったので、頑張って起きた。送られてきたリンクから、Zoomミーティングに入ると、インストラクターが大きな笑顔で迎えてくれた。それだけでとても嬉しかった。私ももっと笑顔で過ごそう、と思った。

 息子が昼寝をしている間に1日のスケジュールを作ってみたら、6時起床、20時就寝の、とても健康的なものが出来上がった。起きて、食べて、散歩して、食べて、昼寝して、食べて、散歩して、食べて、お風呂に入る。それ以外にやることが無い。


(……4月11日に続く)

野田まりえ



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