不要不急の沖縄日記④(4月21日~30日)(野田まりえ)
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4月21日(火)
午前中、日課のお散歩に出かけた。沖縄県知事による緊急事態宣言を受けてか、行きつけの駐車場がチェーンで封鎖されていた。そこは、大きな施設の駐車場で、施設が閉鎖されていたために車が一台も止まっていない、人の出入りも少ない、穴場スポットだったのだ。たまに犬の散歩客を見かけるほかは、無人の駐車場だった。私と息子は、駐車場の車止めブロックの上に乗ったり、植え込みの雑草を引き抜いたりして、それなりに楽しく利用していた。公園の遊具に引き続き、駐車場を奪われた私たちは、ただただ歩いた。息子は、バスが通るたびに「バップー(バス)」絶叫し、楽しそうだった。私は、乗客のいないバスを見るたびに悲しい気持ちになったが、息子と一緒に「バップー」と叫びながら歩いた。
家に帰ると、リビングの蛍光灯が切れていた。夫に、仕事帰りに買ってきてもらった。夫に買い物を頼むだけでも、人との接触機会が増えることが嫌で嫌で仕方ない。当たり前の日常ってなんだっけ、と思う。
夜、新型コロナウイルス関連の翻訳を急ぎで頼みたい、というメールが来たので、子どもを寝かしつけたあと、よく使われる用語を調べたり、類似文書を探したりしながら、翻訳にあたった。新型コロナウイルス関連と言っても、病気そのものに関するものではなく、感染拡大の状況に対応して、勤務体制を変えたりするために必要な手続きのための文書だった。類似文書はたくさん見つかった。「どこも大変だな」と思いながら、読みやすい文章をいくつかブックマークする。
保育園の先生から、自粛する際の保育料についてのお便りがラインで届く。在籍料として半額を納めて欲しいとの内容で、以前、個別に相談した時と同じ内容だった。同じような問い合わせが多かったため、きちんと文書を作成したのだろう。
お便りと一緒に、亭主関白の替え歌動画も送られてきた。
4月22日(水)
引き続き、翻訳依頼に対応するため、義母に息子の世話をお願いして、午前中2時間ほど時間を作った。量が少なかったため、無事に納品できたが、今後も急ぎの依頼が出てくることを考えると、夫と義母を頼る機会が増えることになる。義母は、思いがけず平日に孫に会えることを喜んでくれ、とても有難かった。
沖縄県の緊急事態宣言を受け、私が住んでいる市に隣接する2つの市が、保育園と学童を全面的に休園にしたようだ。保育園の先生からのグループラインで知った。「県や市からの要請があれば、保育園を閉めなければならないので、その時のことを考えておいてください」とのことだったが、そのうちそうなるだろうし、そうあるべきだと思う。そして、既に園児が10名程度しか登園しておらず、登園している園児が不安そうに過ごしているとのことだった。
4月23日(木)
義母から、「上を向いて歩こう」の歌詞が、ラインで送られてきた。彼女は、東京で暮らしている娘のことが心配で仕方ないようで、家族のグループラインで、毎日のように「今日も頑張れ」とか「今日も元気ですか?」と送ってくる。そのたびに、東京の義妹と私は、「元気です」と返事をしたり、可愛いスタンプを送ったりしている。
実母の誕生日だったので、久しぶりに電話をした。隣町で、コロナ感染者が1人出たそうだ。母の実家のある町だ。母の実家には、97歳の祖父が住んでいて、週に3日デイサービスに通っている。祖父は家ではお風呂に入れず、デイサービスでお風呂に入っているので、もしデイサービスが閉まってしまったら、入浴をどうするのか考えなければならない。祖父は大柄で、母や伯母がお風呂に入れるのは難しい。兄と弟が手伝えるだろうか。こういう時、実家から離れて暮らしていることを申し訳なく思う。
4月24日(金)
今日は一日、夫の実家で過ごした。夫は、私と息子を降ろし、自分は仕事に行った。
保育園から、ラインがきた。市から登園自粛への協力依頼が届いたとのことだった。協力依頼をうけ、緊急事態宣言期間中である4月30日から5月6日まで、臨時休園を決めたようだ。
画像で送られてきた市からの文書には、「登園自粛等の協力をお願いいたします」とあるが、その間の保育園への支援がどうなるのかは、まったく書かれていなかった。保育料に関する方針も、なにもない。保育の対象となるのは、以下の人のみで、その他は自粛せよとのことらしい。
- 1)社会生活を維持するうえで必要な施設等で従事する方
- 2)運営の継続が求められている社会福祉施設等で従事する方
- 3)その他、真にやむを得ない事情のある方
そのラインから30分もしないうちに、臨時休園期間を、5月1日からにすると連絡が入った。やむを得ない事情の保護者がいたのかもしれない。
夜、東京に住むママ友から、子どもが川崎病になり、高熱があるためPCR検査を受け、結果を待っているとラインが来た。そういえば、ちょっと前にも、他の友人の子が川崎病になって入院していた。
夫の実家で夕飯を食べ、子どもを風呂に入れてから、家に帰った。子どもを運転中に寝かしつけるために、遠回りして帰った。北谷のアメリカンビレッジにどれくらい人がいるのか気になり、北谷まで行った。アメリカンビレッジには、誰もいなかった。イルミネーションだけが輝いていた。
4月25日(土)
今日も夫の実家で過ごした。夫は私と息子を降ろし、仕事に行った。
夫が昼食を買いにコンビニやスーパーに行かなくてすむように、私は今日も弁当を作った。私は、ぬるくなった生野菜が苦手なので、弁当にミニトマトを入れたりしないし、いろどりのためだけにブロッコリーを茹でたりもしない。いつも地味な弁当をせっせと作っている。夫は、弁当を持って仕事に行くのが嬉しいらしく、最近なんだか機嫌がいい。
義母が引き留めるので、夫の実家に泊まった。
4月26日(日)
日曜日なのに、夫が仕事をしたいというので、許可した。息子を一人で見るのは大変だ。それがわかっているから、夫はいつも、申し訳なさそうな顔で仕事に行く。週末は、特にだ。
夫の教えている大学は、入校禁止措置を取っている。学生だけでなく、教職員も入校禁止のはずだが、やむを得ない事情のある場合は、校内で仕事をすることが許されているようだ。夫が家にいると、1歳6ヵ月の息子は、パパが遊んでくれるものだと思って寄っていくし、パソコンの電源を入れると触りたがる。家で仕事をするのは不可能だ。
4月27日(月)
今日も、夫は仕事に行った。
私と息子は、午前中に散歩をして、午後は家で過ごした。
沖縄は暑くなってきた。これ以上気温が上がると、お散歩も難しくなるのではないかと思う。
支援センターも開いていない、ショッピングモールのキッズスペースも使えない、室内の遊び場が無い中で、この暑い沖縄でどうやって子育てをすれば良いのだろう。他の沖縄の親子は、どうしているのだろう。
この街には、友達も知り合いもいない。情報交換する相手が誰もいないのだと思うと、孤独で泣きそうになった。
散歩中、暑さで疲れた息子が、「ガッコ、ガッコ(抱っこ)」とまとわりついてくる。私も暑さで倒れそうになりながら、11キロになった息子を抱き上げて歩いた。しばらく抱っこして、息子を降ろす。息子はしばらく歩いて、また抱っこしろと言う。何度目かの抱っこの時に、私は急に歩けなくなった。今後の不安と、これまでの孤独な育児による疲れで、抱っこをせがんできたくせに暴れる息子を抱いたまま、しばらく炎天下の道でただ突っ立っていた。友達のいる街に帰りたかった。自分の実家に帰りたかった。夫と義母以外の大人と会って、話がしたかった。
その夜、私はTwitterを始めた。正確には、以前作ったアカウントを掘り起こして、再開した。地域に友達を作って、励ましあいたいと思った。潰れてしまう前に、何か対策を打たないといけないと思った。
Twitterのアカウントを見ると、「2011年9月からTwitterを利用しています」と書かれていた。いま私は、コロナ渦で育児をするのが辛くて、不安な気持ちをシェアしたり、情報収集する場が欲しくてTwitterを再開したけど、そもそもこのアカウントを作ったのは、東日本大震災の後、不安な気持ちをシェアしたり、情報収集する場が欲しかったからだ。それを思い出して、なんだか切なくなった。
4月28日(火)
今日も、暑い中、散歩に出かけた。
道端に、猫がいた。野良猫なのか飼い猫なのかわからなかった。息子は、どうしても猫に触りたいようで、そろりそろりと近寄っていく。
猫は、コロナウイルスに感染しやすいと聞くので、触って欲しくなかった。そうでなくても、私は猫が苦手だった。いままで、あまり猫と触れ合ったことがないので、その辺の道端にいる猫に触ってもいいのか、判断がつかなかった。猫の生態がわからない。触られたら、噛んだり引っ掻いたりするのではないか。追いかけたり、襲ってきたりしないだろうか。気の優しい猫で、触ることを許してくれたとしても、ノミやダニがついているのではないか、病気を持っているのではないか等、考えたら不安だった。
猫好きの友人の顔を思い浮かべ、こんな不安を持っているなんて知ったら、笑うだろうかと考えた。もし彼女がいまここにいたら、猫の上手な触り方を教えてくれただろうし、彼女と一緒なら、私も猫に触れるかもしれない。でも今は、私と息子しかいないし、息子は何をやらかすかわからない。最近息子は、目潰しにハマっていて、「みみー」と言いながら私の目を突く。「これは目だよ」と冷静に訂正しながら、私はいつも目を突かれている。猫の目を突いたら、きっと猫は怒るだろう。
息子を抱き上げて猫から引き離しても、降ろすとすぐに猫のほうに走って行ってしまう。何度も繰り返すと、息子はとうとう怒って泣いた。私も疲れて泣きたかったが、泣いても仕方ないので、息子を再び抱っこし、海へ向かって歩いた。
今日は、おにぎりを持って来ていた。お散歩を少しでも楽しくするために、おにぎりを持って遠足気分を味わおうと思ったのだ。
育児をしていると、「育児を楽しむ」ように言われることが多いし、自分でも、「育児を楽しもう」と自分に言い聞かせる。
育児は重労働だが、毎日、喜びがある。大変さに押しつぶされずに、日々の喜びに目を向けよう、ということなのだと思う。たまに、「育児を楽しもう」がプレッシャーになるときもある。こんなに大変なことを、「楽しめ」と押し付けられるのは嫌だと思うこともある。それでもやはり、楽しむ努力をする以外に出来ることは無いように思うので、楽しむことにする。
行先はいつもと同じ公園で、遊具では遊べないし、他の親子と触れ合うこともできない。歩いて、葉っぱを拾ったり、小石を拾ったりするだけだ。それでも、明るい気持ちで歩きたかった。
息子は、私のカバンにおにぎりが入っていることを知っていて、ちょっと歩くとすぐ「ごはん」と言って私のカバンに手を伸ばしてきた。本当はお昼の時間まで遊んで欲しかったけど、10時にはお昼ご飯になってしまった。海辺でおにぎりを食べていると、後ろで、ライフセーバーのお兄さんが二人、落ち葉の掃除をしながら話している声が聞こえてきた。
「お前、湘南の江の島って知ってるか?」と一人が聞くと、もう一人が「何それ?」と怪訝そうに聞き返した。まさか江の島を知らないのかと思って聞き耳を立てていると、「内地だよ、内地」と最初のお兄さんが笑いながら言った。「何それ?」と言ったお兄さんは、「いや、湘南も江の島も知ってるよ」と笑い、湘南と江の島は別の場所だから、「湘南の江の島」と言うのはおかしい、と言った。決して、自分が湘南も江の島も知らないわけではないと弁明した。話を振ったお兄さんは、「それはどうでもいいけど、ゴールデンウィークに人が来ないように、砂浜にStay Homeって書いたってよ。俺たちも書こうぜ」と言った。私は、「湘南の江の島」で正しいのか、「湘南と江の島」が正しいのか、しばらく考えたが、よくわからなかった。江の島は湘南の一部なのか、それとも違うのか。江の島をよく知らないのは、私のほうだった。
話し声が止んだので振り返ると、お兄さんたちは、おにぎりを食べている息子を見てニコニコしていた。息子と目が合うと、手を振ってくれた。
散歩から帰ると、私は気持ちが落ち込んで、息子の相手をするのが辛かったので、iPadを与えて放置してしまった。放置と言っても、危険なことをしないようにそばにいるのだが、声をかけたり、一緒に遊んだりする気力が無く、ただぼーっと息子を見ていた。30分もしないうちに、息子は飽きてきたようだったが、私は声が出なくて、iPadでYouTube動画を再生して、息子に渡した。何度かこのやり取りをした後に、とうとう息子は泣き出した。私は自分が情けなくなって、何度も息子に謝った。
虐待で一番多いのは、「無視」だと聞いたことがある。私には、子どもを無視する親の気持ちがわかる。言葉を話さない人に向かって、一日中優しい声で、「楽しいね」「美味しいね」「これは何かな?」「ワンワンだね」「ブーブーだね」と話しかけ続けるのは、本当に難しい。私と息子には、共通の話題がない。見たものすべての名前を言っていく以外に、話すことが無いのだ。「これはボール」「カバンだね」「お水だよ」「アンパンマーン」。頭がおかしくなりそうだ。
「保育園に預けずに、家で子どもの面倒を見る」と言うと、これまで専業主婦がしてきたことと一緒じゃないかと思うかもしれないが、人と会ってはいけない状況では、まったく意味が違う。子連れで集まって出掛けたり、子ども同士がおもちゃの取り合いをすることもなければ、母親同士が情報交換したり、愚痴を言いあったり、お互いの子どもに声をかけたりすることもない。子どもとコミュニケーションを取る負担が、すべて同居の親にかかっている。私と息子は、私が話さなければ、ほぼ無言の中で生活することになる。
子どもを無視する親の気持ちがわかると書いたが、子どもを無視し続けることは難しい。子どもは、危ないことをしたり、可愛いことをしたり、あらゆる方法で親の気を引こうとするし、やはり可愛くて、すぐにかまってあげたくなるからだ。だから、もしも無視し続けることがあるとしたら、もうそれは、親が精神的なケアを必要としている状態だと思う。私はいま、自分がその数歩手前にいるような気がして、怖い。
子どもを寝かしつけた後、夫と話し合った。夫が週末に仕事をしたことで、私が週末に全く休養できなかったこと、それによって平日の育児を乗り切ることが出来ないように感じることを話した。
夫が週末に仕事をするのは、そうする必要があるからだ。大学は、授業をオンラインに移行する負担を、すべて教員に丸投げしている。それが良くわかるから、私はあまり愚痴を言わないようにしているし、仕事に行く夫を引き留めないようにしている。それでも、育児に支障がでるのであれば、相談するしかなかった。夫は毎日、申し訳なさそうに仕事に行き、急いで帰宅する。私は、疲れても愚痴を言わず、家事育児をする。でも、もう無理だった。
4月29日(水)
朝食を食べた後、夫が息子を連れて、自分の実家へ行った。
私は、久しぶりに一人でゆっくりと過ごした。
夫は、自分の実家に行くと、育児をすべて義母に丸投げする。実家に着いたとたん、自分はソファーに座って、そこから動かなくなる。義母が料理していようが、掃除をしていようが、まったく息子の面倒を見ない。義母は孫可愛さと息子可愛さで、家事育児を一人でこなすことに不満は無いようだが、子どもを見ながら料理をしたり、掃除の合間に子どもから目を離したりするから危ない。ワンオペでの家事育児は、それが母親だろうと祖母だろうと、子どもの安全を犠牲にして成り立っているのだ。
私はそれが嫌で、息子と夫が二人で遊びに行かせないようにしていたが、今日は疲れていたから、休むことを優先させた。
案の定、義母が犬と息子を連れて散歩に行くときに、夫は同行せずにソファーで寛いでいたようだ。息子は手を振り払って走っていく事があるし、とっさの時には両手が空いていないと危ない。私は、犬の散歩のときには同行するようにして欲しい、と夫にお願いしていたが、夫は面倒くさがって、それをしなかった。自分でも良くないと思っていたことを指摘されたのが気に入らなかったのか、夫は逆切れした。夫は、息子の安全に関しては私よりも厳しい基準を持って子育てをしている。私は、夫が「危ないのではないか」と不安になるようなことはしないように、日々気を付けて育児をしている。それなのに、自分の実家にいる時だけは例外で、「母さんに任せておけば大丈夫」とばかりに、安全基準を下げる。私は以前からそれが気に入らなかったし、家だろうと実家だろうと、息子の安全には気をつけようね、と声をかけるようにしてきた。私がダウンすると、こういうことが起こる。だから母親は、「私が倒れるわけにはいかない」と言うのだ。母親が倒れると、父親は実家に子どもを連れて行き、普段の生活で気を付けていることや、食べないようにしているもの等、命にかかわる情報共有すらせずに、自分の母親に育児を丸投げするのだ。
その夜、喧嘩したまま寝た。夫は、自分が悪いと思っているときほど、謝るまでに時間がかかるタイプだ。私は、明日になれば謝ってくれるだろうと思って怒りを鎮めながら寝ようと思ったが、なかなか寝付けなかった。
4月30日(木)
義母から、「体調はどうですか?」とラインが来た。義母は、何かと私の体調を気遣ってくれる。
夫は仕事に行き、私と息子は、散歩に行った。
海岸に、Stay Homeと書かれているか見たかったが、歩き疲れた息子がぐずったため、海までたどり着けなかった。
いつも散歩している公園の近くには、大きなホテルがある。たまに、観光客のような人を見かける。マスクをして歩いているだけだが、服装でなんとなくそう思う。
私は、自分も観光客に見える可能性について考える。沖縄に来てから、夫の苗字を名乗ることが多くなったが、沖縄で上位3位に入る夫の苗字を名乗ったときですら、「内地の人ですか?」と聞かれることがあるくらい、私は「ないちゃー顔」らしい。
いま、沖縄の人は観光客に敏感になっている。「来ないでくれ」ということだ。私は、自分が子どもを連れて沖縄に「疎開」してきたように見えていたら嫌だな、という気持ちと、そんな風に思う自分が嫌だな、という気持ちで、なんだか息苦しくなる。
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