母の味
食べ物について書きたいと思っていたのに、食べ物のことを考えると吐き気がする。
私はもう一か月以上、美味しく食事をしていない。気分が悪くなるので食事の支度ができない。調味料や食器を見ただけで吐き気がする。それでも食べずにはいられない。食べていないときは、食べ物のことばかり考えてしまう。考えて気持ち悪くなり、それでも食べたくなり、いざ食べ始めると大丈夫だったりする。そして食べた後に胃がもたれて後悔する。
どうしても食べたくなって果物を買い、家に帰って皮をむこうとするともう食べたくなくなっている。先週まで狂ったようにポテトサラダを欲していたのに、今は「ポテトサラダ」の文字を見るだけで気持ちが悪い。
つわりである。
「つわりは、赤ちゃんが成長している証拠」と言われるし、私も機嫌が良いときにはそう思う。しかし、吐き気のある状態が1か月も続くと、そんな「素敵な妊婦さん」思考はどこかへ行ってしまう。自分の生存が脅かされていると感じる。
私の身体の中に、巣を作って住んでいる奴がいる。なぜそんな必要があるのかわからないが、巣(胎盤)から大量に出されるホルモンは、嘔吐中枢を刺激するらしい。胎盤が完成するころには、このホルモン分泌もおさまるといわれている。私は、あと数週間、吐き気に耐えながら暮らすことになる。無事に生まれてきたいのなら、宿主である私の嘔吐中枢など刺激しないほうが身のためなのではないか、と思うが、なぜかそういう仕組みになっているらしい。納得がいかない。
これを書きながら、私はバターを塗ったトーストを食べている。パンにバターを塗ったバターナイフを見ていると吐き気がするので、バターナイフはすぐに台所に下げた。でもパンに塗られたバターの香りは最高である。もう自分でもわけがわからない。
こんな状態なので、私の食事の支度は、ほとんどすべて夫がしている。それまでは、どちらかというと私が料理をすることが多かった。夫が食事の支度をするようになって、気づいたことがある。
私は、母の手料理が食べたい。
母は、ものすごく手間のかかる料理を何品も並べるタイプではなかったが、レトルト調味料や粉末ダシを使っているのを見たことはないし、母の料理はいつも安心できる味だった。
私は、16歳で実家を離れて14年経つ。これまで、母の味が恋しくなったことは、あまりなかった。食べ物がおいしくないといわれるイギリスに住んでいた時も、母の味が恋しいと思ったことはない。
夫が食事の支度をするようになってから、急に母の味が恋しくなったのだ。
夫に「ちらし寿司を作った」と言われて食卓について、レトルトパウチのちらし寿司の素の味がすると、「これじゃない!」という気分になるのだ。「かんぴょうや椎茸を甘く煮た、私の母のちらし寿司ではない」と思ってしまう。妊娠前は、そんな風に感じたことは一度もない。夫が作ってくれる食事は美味しいし、いつも美味しいと思って食べていた。もちろん、今も「美味しい」と言って食べている。間違っても「お母さんの味じゃない」なんて言わない。いままで、心の中で母の料理と夫の料理を比べたことなど一度もなかった。
ただ、自分が安心して食べられる味が、なぜか「母の味」になっているのだ。これが、つわり期によくあるという「偏食」の一種なのだろうか。それとも、私はどうしようもない我儘なマザコンで、妊娠を機にそれが表面に出てきたのだろうか。よくわからない。
夫にも母にも、このことは言っていない。言っていないが、ラインで母に、五目御飯の作り方を聞いた。どうしても母の五目御飯が食べたかった。母の五目御飯は、椎茸、人参、ひじき、鶏肉、ゴボウを醤油、砂糖、みりんで煮詰めて、炊き立てのご飯に混ぜる。分量は「適当」だ。母にレシピを聞くと、いつもそうだ。分量は適当。適当に作っていると本当に母の味になる。レシピを聞いたはいいが、「鶏肉」の文字を見たとたん吐き気がしたので、まだ五目御飯は作っていない。夫に作ってもらおうと思ったが、夫は五目御飯を知らなかった。こういう五目御飯は、全国で食べられているものではないのだろうか。よくわからない。
とりあえず、五目御飯は、「鶏肉」を見たり食べたりできるまでお預けである。
自分の身体なのに、よくわからないことばかりだ。あと数週間してつわりが終わったら、一気に食欲が出て、なんでも食べられるようになるという。そしたら、私は味覚のマザコン状態から抜け出すのだろうか。つわりが終わるのが楽しみだ。私は早く、何でも美味しく食べられる食いしん坊の私に戻りたい。
野田まりえ
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