サルデーニャの忍者

 須賀敦子の没後20年らしいが、大して本を読んでいないのにもかかわらず、私にもイタリア人の「ジョヴァンニ」という友人がいるので他人事には思えない。

 私の祖母は花巻出身なので、宮沢賢治記念館はもちろん、私の子ども時代に存在した「けんじワールド」という、雨は降るわ、火山(グスコーブドリのアレ)は爆発するわ、長大な流れるプールはあるわ……という夢のようなテーマパークを何度も訪れた。もちろん「ジョヴァンニ」と言ってまず思いつくのは、『銀河鉄道の夜』の主人公である。

 サルデーニャにも、ジョヴァンニという男の子が住んでいた。

 2013年のヨーロッパ横断旅行中、ローマにいたところ、留学中に知り合った(が、ろくに話したことがなかった)ジョヴァンニから「おいで」とメッセージをもらったので、ベネチアその他に北上する計画を変更し、船で一晩かけて、サルデーニャ島へ向かった。

 サルデーニャはブーツに似ているというイタリア半島が、蹴り上げた岩のような形をしている。夏はセレブたちが押し寄せる観光地だけれども、私が行った2月は閑散としていた。

 港で待つこと約3時間。ジョヴァンニは、ルパン三世の「次元大介」に憧れているのでわざわざ買ったというジープで現れた。

 何年製なのかわからず、床に穴が空いていたり、細かな段差でダッシュボードが全開になったりしたけれど、私はこの車が大好きだった。港や繁華街のあるオリビアから、ジョヴァンニたちが暮らす「蛙」という名の村(私は90歳ぐらいの伯母さんの家にお世話になった。サルデーニャは長生きの島としても有名なのだ)までは距離があるので、島に滞在した4日間ほど、毎日1リットル300円ほどもするガソリンをどんどん使って、島中のいろんなところを巡った。

 オリビアまでの1時間近い道は、ひたすら細い山道を右や左へ90度近いカーブをくねくねと進むのだが、あまりにキツいカーブでは、ジョヴァンニはブッブッブッブーとクラクションをひたすらに連打する。聞けば、「いま向こうから車が来ていたら確実に崖に落ちて死ぬ。その時はごめん」とのことだった。

 日本人だからと空手教室に連れていかれて、「押忍」の発音が合っているか聞かれたり、

海岸で(ガチで)昼寝をしたり(写真はジョヴァンニ)

かまどに押し込まれたり、


たくさんの思い出があるのだけれど、ジョヴァンニとの思い出は、ある一つの会話に集約される。

 到着して間も無く、美しい教会を見学して、その入り口の石段でゴロゴロと寝転んでいると、ジョヴァンニが突然、私に信仰を聞いてきた。

「何か宗教を信じてるの?」

 そこでとっさに私の口に出たのが、ドイツ語で、

Ich glaube, ich glaube an nichts.

という一言だった。

 ドイツ語の動詞「glauben」は、英語で言う「think」=思う、考える、も意味するが、同時に前置詞anが続くことで、信仰(英語のbelieve)を言い表すことができる。つまり、私が

「うーん、何も信じてないかな」のニュアンスで繰り出したドイツ語は、

「私は自分が何も信じていないことを信じる」

のような、ギリシア形而上学もびっくりな一文(?)になってしまっていたのである。

 ジョヴァンニは笑って、そりゃいいわ、とえらく感心していた。それから、「自分はアナーキストで、その後は共産主義者だったけれども(注:ジョヴァンニは私より何歳も年下なので、当時は二十歳そこそこです)、勉強し、考えた結果、ユダヤ人になりたい」のだと告白した。確かに彼の部屋の窓には、Yiddish Speaking(ここではイディッシュ語を話しています)のような黄色い表示札がかかっていたし、その後、海岸でガチ寝する前にも、ジョヴァンニは、ドラマ「セックス・アンド・ザ・シティー」でユダヤ教に改宗することになるシャーロットが読んでいたのと同じ、『How to be a Jew(ユダヤ人になるには)』を熱心に読み漁っていた。

 私は「パレスチナの側に立ちたい」と言って大げんかしたりもしたのだけれど、それから5年の間に、彼は夢を叶えて、テルアビブの大学で学業を収め、本当にユダヤ人になった様子である。

 私はもちろん(と言ってしまってよいのかわからないけれど)自分がユダヤ人になることなんて考えたこともなかったので、自分が見えている選択肢の他に、もっともっと見えない選択肢があるのだという事実に、胸がいっぱいになってしまった。

 今でもよく、つらく思うことがあったり、行き詰まり感を抱くと、私にとっての「ユダヤ人」のような視界外の選択肢に意識を飛ばすように心がけている。それは、ジョヴァンニが私の人生に開いてくれた視野であり、私はとても感謝している。

 さて、そろそろ、ここまで私が書き散らした文章を読んでくださった稀有なあなた様の胸には、「今回の標題、『忍者』って何なの」というギモンが湧いているかもしれません。

 実はジョヴァンニには、イギリスの名門大学バークベックを首席(?)で卒業した、イケメンの兄がおり、私もドイツ留学時に一度会ったことがあるのだが、私がサルデーニャに行った頃は、バーミンガム大学で考古学の博士課程に在籍していた。

 その兄が所属していたのが「バーミンガム大学オフィシャル忍術クラブ」で、どうやら本当に「オフィシャル」で正式に「師範」から忍術を学ぶらしい。私がサルデーニャを訪れて気を許したのか、たまに「忍術クラブのメンバーの漢字名を考えてくれ」と連絡がくるようになったので、カールというメンバーに「大帝」と名付けたり、気まま勝手な「ゴッドマザー業」を繰り広げていたのだが、そんな兄も数年後に帰国することになり、サルデーニャで、自分の忍術道場を開くことになった。

 そこで「必要になった」(と言われた)のが、お札である。道場開設記念にプレゼントすることにした。ヨーロッパ旅行から帰国後に私は就職していたので、職場近くの東京大神宮に行って「お札くださーい」と言うと、「紙のものと木のものがありますが……」とのこと。見た目が立派なので木のお札にして航空便で送ったところ、「通販で買った組み立て式の神棚に入れて飾っている」とのことで、とても喜んでくれた。

 お札のお礼にと、ジョヴァンニの兄は道場オリジナルのTシャツ(旅行当時私は今より20キロ近く太っていたのにもかかわらず、なぜかXSサイズ)を送ってくれ、そこに、海岸で寝ている最中にジョヴァンニの犬(パレルモ)

にカバンから引きずり出され砂に埋められた『マルテの手記』も同封してくれていた。

 そんな兄=ニックも、いよいよ今年日本に忍術修行へやってくるつもりだと連絡があった。いつも「どうして忍者マスターの住所を知らないんだ」などと軽く責められているので、忍術に詳しい方は案内してください(笑)。


 サルデーニャには、次元大介に憧れ、ユダヤ人になりたがった弟ジョヴァンニと、忍者になった兄ニックとが今も住んでいる。そして私は、いつの日か、またサルデーニャを訪れたい。きっと彼らも、私なんか及ばないほどに長生きするだろうから、あまり急がず、おじいちゃんになった頃でもいい。その時に、サルデーニャには、仙人のようなおじいちゃん忍者がいるかもしれないのだ。

追記:サルデーニャ情報はこのFacebookページが大変参考になります! 現地にお住まいの日本人女性が更新なさっています。食べ物の写真も美味しそう。オススメです〜。

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