「ジャジューカの夜 スーフィーの朝」と音の思い出

(写真:Uzbekstan 2011)

 

 音楽評論家サラーム海上氏による、『ジャジューカの夜 スーフィーの朝 ワールドミュージックの現場を歩く』という本を読んだ。



 私は、著者の専門としている中東、南アジアの音楽についてはほぼ知識がない。そのため、同書のタイトルを見ても、スーフィーはまだしも、ジャジューカとは一体何かさっぱり見当もつかなかった。そんな私も、読み終えたあとは思わず「ジャジューカ」を自分の携帯にダウンロードしてしまった。本の帯の煽り文句、「この音ヤバイ!を求めて世界へ」の通り、ジャジューカはやばかったからである。 もうジャジューカジャジューカって一体なんなんだ、という方は、とにかくこの本を読んでほしい。 

(ジャジューカの一例)


 同書で、著者はレバノン、モロッコ、インド、パキスタン、イスラエル、トルコなどの2000年代以降の音楽シーンを取材している。1冊の中で紹介されている音楽やミュージシャンの情報量が大変豊富で、私は件のジャジューカと、その他ごく一部の作品しかまだ聴けていないのだが、これから聴くべきもの、観るべきものがこんなにある、と思うとぞくぞくする。そうだ。最後のページを閉じた後もまだ興奮するのは、「世の中には、ただ自分が気づかなかっただけで、こんなに面白いもの、誰かに愛されているものがたくさんある」と実感するからだ。




 同書を読むと、自分が旅した場所や住んだ土地で出会った音を思い出す。ただし、音楽と真正面から向き合っている筆者と比べ、私の思い出は、中途半端で不格好で、少し収まりが悪いものだった。 

 ウズベキスタンを旅行中、ヒバという観光地からブハラという別の街へ、乗り合いタクシーで丸1日かけて移動した。「乗り合い」という言葉から大きめの車を想像していたら、案内されたのは、普通のタクシーと同じサイズの中古車だった。これで8時間走るのか……?と早速不安になった。ドライバーの他、すでに3人先客がいたので、私を入れると定員いっぱい、しかも自分も含め皆大人なので後部座席は特にきつい。外国人観光客は私だけだった。先客の3人の男性は、2人連れと、単身のようだったが、彼らはお互いにほぼ会話もせず、私にも話しかけない。彼らがブハラに向かうのは仕事のためか、それ以外の事情か、伺いしれなかった。ただ、誰も全く楽しそうな表情を浮かべていなかったので、バケーションに行くようには見えなかった。記憶に残っているのは、車中に流れる、男性歌手ががなるように歌うロックだけである。ウズベク語なのかそれとも別の言語なのかすら分からなかった。 

 私以外の乗客たちは、皆あの歌を知っていただろうか。今流れているのは誰の曲ですか、と私がコミュニケーションをとることができたら、彼らとも少しは打ち解けられたのだろうか。 

 今となってはわからないし、あの時間が人生で再び巡ってくることもない。自分の手元にあるその日の写真は、トイレ休憩で一度だけ停車した際に撮影した、茶色い平野と青空だけである。自分も乗客もタクシー自体も写っていない。車中の記憶を共有する人もいないので、だんだんと、本当にあの日そんなことがあったんだろうか、という不思議な気持ちにすらなる。 


 もう一つ、今でも思い出す音は、ヤンゴンの路上の歌だ。 

 ヤンゴン中心部の住宅は、富裕層が住む一戸建ての高級住宅や、大企業の駐在員が住むコンドミニアムなどの例外を除くと、エレベーターや発電機のついていないアパートが多かった。私が住んでいたのもこうしたアパートの一つで、路地裏に、同じような建物が何棟も林立している。住人たちが徒歩や自動車、サイカー(自転車の横に座席が作られている、人力車のような乗り物)で行き交うだけでなく、各種の行商人が、独特の節回しで物を売り歩いたりと、朝昼晩と、何かしら誰かの声や物音が聞こえる。 

 これらの、ほぼ毎日聞こえる音とは少し異質なものもある。それは、夜、不定期に通りにやってくる物乞いの子どもたちの演奏だった。ヤンゴンも広いので、映っているのはおそらく私が住んでいた地区にいたグループではないと思うが、この動画の子どもたちと同じスタイルの演奏だ。


 彼らの声は、5階の私の部屋までよく聞こえてきた。そして、別の通りへと移動していくのにあわせ、いつのまにかその歌声は遠くなっていく。その歌も、背後でリズムをとる太鼓の響きも、ミャンマーで聴いた他のどの曲とも似ていなかった。私は、どこから伝わった音楽なのか、また、彼らはこの歌をどうやって覚えたんだろう、などと考えていた。


 歌声が路地裏にやってくるたび、こうして好奇心をそそられる一方で、自分が今部屋の中にいて、路上で歌う彼らと目の前で向き合わなくて済むことに、無意識に安堵していた。私がアパートで聴いた歌は、曲名も、歌い手の子どもたちの名前もわからないままだ。それは、私が 部屋を出て階段を降り、路上で彼らの歌を聴衆としてきちんと聴き、その対価として寄付をし、彼らと会話をしようとしなかったからである。


 私は、自分の知らない音楽が世界にまだたくさんあることに興奮すると先に書いた。ヤンゴンで聴いた歌は、それと裏返しの気持ちを呼び起こす。自分が意志を持ってつながろうとすれば、少しだけ、より深く知り得たかもしれない人々がいるのに、私は自分の意志で「知らないまま」にしてしまった。もちろん、この件に限ったことではない。まだ知り得ないこと、出会っていないこと、想像もできないことは世の中に無数にあるが、自分の日常と地続きにありながら自分の意志のもとで「知らないまま」にしようとしている事柄も、無数にある。 

 同書を読んでわくわくする一方で、自分が出会った音楽のことを思い出し少し居心地が悪いのは、こうした理由である。


ヨシオ カサヤカ

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