図鑑がない

 

 虫の図鑑がなくて困っている。ロサンゼルスは消費大国アメリカを代表する大都市であるから、生活に必要な物資でおよそ買えないものはない。しかし昆虫関連のまともな書籍はどこを探しても見つからない。

 引っ越してきてからずっと探しているのだが、ロサンゼルス、まず本屋がない。日本でも書店はすごい勢いで潰れているが、こちらはもう潰れるところはほとんど潰れ尽くしてしまった焼け野原の世界という感じで、ショッピングモールの大型チェーンか、アート系の独立書店しか生き残っていない。どこもサイエンスに強い店ではない。独立系の店の中で、この前ようやく1軒「お、少し分かってるな」という棚を見つけたものの、読み物が中心で、あと一歩、かゆいところに手が届かない。

 民間がダメなら公共図書館ということで、全米有数の蔵書を誇るロサンゼルス中央図書館にも足を運んでみた。巨大な館内で迷いながら生物学のコーナーにたどり着いても図鑑の点数は多くない。寂しい限り。日本だと博物館のミュージアムショップが穴場だったりするが、いくつか訪れた博物館や水族館はいずれも空振りだった。鳥や植物は少し置いてあるのに、虫については薄くて子どもだましのものばかりで、それもあったりなかったりだ。

 これだけ探してもないということは、そもそも出版が少ないのだ。少ないというか、日本が異常に多い。テントウムシだけの図鑑とかハエトリグモだけの図鑑とかがバンバン出版されて、ある程度売れるというのは、考えてみればかなり変な国である。いずれにしろ、こちとら幼い頃から図鑑漬けで育っているので、野外で見た生き物の名前をすぐ図鑑で調べられないのはストレスだ。週末のたびにあちこちで撮った名前の分からない虫の写真が溜まっていく。

 供給が少ないということは需要が少ないということだ。断定は避けたいが、ひと握りの例外を除いて、残念ながらアメリカの人たちはあまり虫に関心がないらしい。アメリカ社会での虫の位置付けについてネットを漁っていたら、虫キチコージという方が2004年に書かれた「アメリカな虫事情」という文章に出会った。勝手に要約すると「アメリカには面白い虫も多いし、愛好家もいるが、社会の中に一般の人が関心を深めるためのきっかけが少ない。結果として、多くのアメリカ人は虫に興味を持たない」という分析だ。

 特に「子供向けの本は内容がいい加減で、信頼できるものは研究者向けの高価な専門書しかない」という指摘は本当に当たっている。ある国立自然公園のビジターセンターの売店で「いもむしキモい!」という感じのタイトルを見たときには心底がっくりした。公共施設が生き物を茶化してどうする……。哺乳類や鳥類など、目につきやすいサイズの動物については美しい写真を使った本がいくつも並んでいるのに、虫については、ピンクや黄色のバーバパパみたいな絵柄の児童書ばかりだ。これではせっかく子どもが虫に興味を持っても、それ以上深みにはまることは難しいだろう。

 それから、なんでも標準和名がつけられている日本に比べて、アメリカではそれぞれの生物種に英語の通称が統一されておらず、学名を使わないと生き物の話が正確にできない、というのもなるほどと思った。「カブトムシ」とか「オオカマキリ」とか言えば済むところを、「アロミリナ・ディコトマ」とか「テノデラ・アリディフォリア」とかいうふうにラテン語ベースの名前を覚えなければならないとしたら、初心者にはちんぷんかんぷんである。ネット上でアメリカの愛好家グループを覗いていると、ぽんぽん学名が飛び交っていて、一種の合言葉というかサークル内の業界用語として使うのは楽しそうだけど、門外漢の人にはいかにも敷居が高いと思う。

 とにかくこういう背景によって、ほとんどの虫は一括りに「Bug」と呼ばれている。チョウもゴキブリも全部Bugである。ついでにコンピュータープログラムの不調もBugである。あまりいいニュアンスの単語ではない。

 3月のことだが、ロサンゼルス自然史博物館で「ネイチャー・フェスト」という、自然に焦点を当てたお祭りがあった。いろんな団体がブースを出したりレクチャーをやったりで面白そうなので行ってみた。口下手な私は会話のきっかけにと思って、取っておきのTシャツを着ていった。日本最大のトンボであるオニヤンマと、日本最小のトンボであるハッチョウトンボがプリントされている、日本列島の生物多様性を一枚で表現したイケてるシャツである。「ネイチャー・フェスト」に来ている人なら、通じるものがあるに違いない。

 自然保護団体のブースを冷やかしていると、ありがたいことにさっそくスタッフの人が声をかけてくれた。「そのシャツいいね!」というところまでは計算通り。「Bugでしょ?」と続けられてずっこけた。本当に何でもBugなんだな……、BugといえばBugに違いないけど……。こっちが最大のトンボで、そんでこっちは最小なんすよ……と心の中でつぶやきながら会場を後にした。同志に出会う日はまだ遠い。

 アメリカの虫好きはこういう社会環境の中で、どうやって生きているのだろうか。図鑑でいろいろ調べたくならないのか。きれいな図と詳しい解説で、まだ見ぬ虫に胸を膨らませたりしないのか。腕組みして首をかしげる日々だが、分かってきたのは、同じような欲望を持った人はアメリカにも当然いるらしいということだ。ただし、その欲望は、良い図鑑を出版させる方向に向かっていない。

 ではどこへ向かっているのか。図鑑の果たす役割は、ここではインターネットの集合知が担おうとしているのではないかと、最近考えている。

 たとえばこちらでよく利用されているもので、「iNaturalist」というオンラインサービスがある。ひとことで言うと、ユーザーの観察記録を共有する仕組みだ。世界地図にピンを刺していくように「いつどこで何を見たか」が写真付きで記録されていき、近所で他の人がどんな生き物を見たかが分かったり、特定の地域で特定の生き物がどれだけ記録されているのか、研究用のデータを抽出したりすることもできる。生き物の種類が分からなくても「鳥」とか「バッタ」とか粗い情報だけで登録できるのが素人に優しい。また、知識を持った他のユーザーが同定(種類を見極めること)を手伝ってくれるSNS的な側面もある。AIが画像データを分析して種名を提案してくる機能さえあるらしい。

 10年前にカリフォルニアで誕生したこのサービスは世界中に70万の利用者がいて、すでに1千万件の記録が集まっている。この数の情報を生物学者だけで集めることは不可能であり、市民の力を使った新しい科学の形といえるだろう。

 ただ、日本ではまだそれほど使われていないように見える。理由の一つは、おそらく、希少種の産地が暴かれることへの警戒感だろう。日本ではもともと複雑な地形のそれぞれに生き物が適応分化していた上に、生息地が開発で寸断されている。そのため「◯町◯丁目の草むら」とか「◯◯峠のあの木」とか、本当にピンポイントで「そこにしかいない生き物」が多い。そうした産地が心無い収集家や捕獲業者の乱獲・盗掘で破壊されてきた歴史を知っているのが日本の生き物ファンだ。何でもかんでもネットで共有することに対して、拒否反応も当然あると思う。

 一方で面白いのは、アメリカではこういう乱獲を誘発するリスクにはあまりこだわらず、博物館などの学問的権威が、じゃんじゃん利用を推進しているところである。私がiNaturalistを知ったのも、ロサンゼルス自然史博物館の「SnailBlitz」というキャンペーンに参加したのがきっかけだった。日本語にすると「カタツムリ大作戦!」という名前のこのキャンペーンは、とにかく期間内にロサンゼルス市内で見つけたカタツムリをiNaturalistに登録しまくって、地域のカタツムリ生息状況を実感しようというものだ。

 私も職場の花壇を這っていたカタツムリの写真を投稿したところ、博物館の専門家がすぐに同定してくれて、それがヨーロッパから移入されてアメリカ中にはびこっているありふれた種類であることが分かった。それ以来、同じカタツムリを見ると「あ、あれだ」と分かるので、私に見える世界は確実にひとつ豊かになっている。

 参加してみると、これは生き物の名前を覚えるのにすごく有益である。ひとり図鑑を読みふけるのとはまた違って、コミュニティに貢献している感覚も得られる。

 同じような「◯◯Blitz」という取り組みはたくさん行われていて、「カエルBlitz」「トカゲBlitz」の他に、生き物なら何でも登録しまくる「BioBlitz」というのも見た。こういうものが流行るというのは、アメリカっぽい楽観主義と合理主義の表れかと思う。多少リスクがあっても、それを上回る成果が見込めるならやる、というトータルの損得で物事をとらえる考え方は、こちらに来てからとても勉強になっている。

 図鑑への渇望はおさまらないものの、こんな感じでオンラインの世界を探検することで、少し気を紛らわしている今日この頃である。

イシイシンペイ


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