セアノサスという花について


 今年の前半を振り返ってみれば、ハイキングにずぶずぶハマった半年だった。ロサンゼルスは大都市でありながら、日帰りの範囲内に無数のトレイルが用意されていて、「お散歩」から「登山」まで行き先には事欠かない。そんなわけで平均して月に2、3回は野外に出ているし、春以降はほぼ毎週末である。日本にいたときは3ヶ月にいっぺん行けばいいほうだったから、10倍以上のペースだ。こちらの自然に完全に惚れてしまっている。 

 春から初夏にかけてのこの季節、ハイキングの記憶はすべて色とりどりの花によって彩られている。サボテン、ユッカ、ソバ、キク、ポピー……等々、日本で馴染みのある仲間もそうでない種類も、冬場のわずかな降水を使って花をつけ、長い乾期が来る前に子孫を残そうと必死である。 

 中でも目にする機会が多く、すっかり好きになってしまったのがセアノサスの仲間だ。セアノサスというのは50種類くらいの植物を含んだグループ(属)の名で、いずれも小さな房状の花を大量に咲かせるのが特徴である。私が南カリフォルニアの山で見ているのはおそらくそのうち5種類くらいで、花の付き方や色に微妙なバリエーションが見られる。

 大きさは膝丈からせいぜい3メートルくらいで、それほど高くは成長しないが、同じところに固まって生えているので一斉に花をつけていると壮観だ。このような灌木が多いのはどのような場所かというと、ずばり山火事の跡である。下の写真は、火事の影響で数年間閉鎖されていた山に登ったときのもので、山全体が花の雲に覆われたような光景に息を呑んだ。


 セアノサスは開けた土地ではどこでも見ることができるが、大木で構成される暗い森にはほとんど生えていない。このように何らかの理由で高い木がなくなった裸地に好んで進出する植物を、先駆植物(パイオニア・プランツ)という。森が回復して背の高い木々に光を遮られるまでの一定期間に、全てを賭けている生き物だ。この仲間は痩せた土地でも成長が早いのが特徴で、特にセアノサスは栄養のない土壌でも生きられるように、共生細菌を使って空気中の窒素を利用する能力まで備えているそうだ。かっこいいとしか言いようがない。

 カリフォルニアで近年大きな山火事が多発しているのは日本でも報道されている通りで、私が到着した去年も深刻な被害が出た。ただ、これは気候変動の影響により頻度と規模が増していることが問題なのであって、定期的に火事が起きるそのこと自体は、ここでずっと繰り返されてきた自然現象の一環だ。焼け跡で旺盛に伸びるセアノサスや、表面が多少焼け焦げてもピンピンしている針葉樹の仲間を見ると、「燃やされること」にすら適応してしまう、生物のしぶとさを思い知らされて背筋が伸びる。 

 荒れ地にいち早く緑をもたらすセアノサスは、他の生き物にとっても重要だ。満開の花の周りにはミツバチをはじめ、チョウ、ハエ、アブなどの昆虫がいつも賑やかに飛び交っている。私の観察の限りでは2月から最近の6月くらいまで、標高や種類を順々にリレーしながら蜜や花粉を提供し続けるようだ。これに依存する昆虫類が、今度はトカゲや小鳥の餌となっていくことを考えると、セアノサスはこの地域における食物連鎖の一つの起点である。

 

 もちろんこうした生物学的なウンチクを抜きにしても、セアノサスの素敵なポイントはたくさんある。 

 まず、見た目が良い。一株の花の量が多い上、条件の合う場所に群生するため、上にも書いたように遠目では花の雲がかかったように華やかだ。緑がかった白から薄い青まで種類によって色に違いがあり、つぼみと咲いた花とでまた微妙に色合いが変わるので、全体として印象派の絵のようなグラデーションが現れ、実に飽きない。

 遠目も良いが、近くで見てもまた美しい。一つ一つの花は数ミリしかないが、小さいなりに花びらと雄しべと雌しべという基本パーツが全てそろっている。その可憐な花が密集して光をキラキラ乱反射するので、カリフォルニアの強烈な太陽の下でも、セアノサスの繁みが自ら発光しているかのように見える。霧の晴れ間に露をたたえている姿は宝石のようだし、夕陽を受けて金色に光っているのも見とれてしまう。

 花ばかりでなく、葉も良い。1センチくらいの丸っこい葉がこれも高密度に生えていて、日本のツゲの生け垣のような親しみやすい雰囲気がある。 

 顔を寄せてみれば、香りも上品だ。セアノサスというのはラテン語起源の学名だが、英語の通称ではカリフォルニア・ライラックと呼ばれる。ヨーロッパ文学に香りの象徴としてよく出てくるライラック(仏語:リラ)とは分類学上あまり関係がないが、ヨーロッパ人がカリフォルニアに到着したときにセアノサスの香り高さを故郷のライラックに重ねたのだろう。

 うまく形容できないが、ユリの匂いを薄めて爽やかにしたような独特の香気が周りに漂っている。下を向いて歩いていても、セアノサスが生えていれば鼻で分かるのだ。私は強い香水をかぐと頭が痛くなるのだが、この香りは不思議に元気が出る。同じところに生えている針葉樹類の松ヤニ臭と合わさるととても鮮烈で、どれだけ疲れていてもまだまだ歩ける気がしてくる。

 知れば知るほど好きになるセアノサス、この半年ハイキングのたびに楽しませてもらってきたが、そろそろ実を結んだ木を目にすることが多くなってきた。長い花期もさすがに終わりが近づいているようだ。来年の春、また力強い姿に出会うことを楽しみに待ちたい。

 いつか、あたり一面のセアノサスが深い森に埋もれる頃には、私はここにいないだろうし、もはやこの世にすらいないかもしれないが、せめて許される限りは日一日の季節と共に移ろっていきたいと思う。

イシイシンペイ

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