放蕩ルンバとローマの迷子(や)
ひとり暮らしも13年目に突入したので、ある程度の家事は上達したものの、掃除だけはどこまですればよいのかわからない。髪が伸びるにつれて、気がつけば床から剛毛が生えていたりするので、今年の正月、思い切って一番安いルンバを買った。ルンバというのは皆さんご存知、お掃除ロボットで、勝手に掃除し、充電が切れると自分で充電ベースに戻るというベンリな代物である。
ペットは飼い主に似る、というが、このルンバが私に似て、まあベースにたどり着かない。ある日はスマホの充電ケーブルに絡みつき、ある日は玄関に落ち、ある日はただ単に充電が切れて部屋の中央にいたりする。(帰宅して、たまに充電ベースにいると「まあ、お利口ちゃーん♡」と声に出して褒める。)
ヨーロッパを横断した2013年、ローマについた私はとびきりの開放感を味わっていた。というのもその前に滞在したギリシャでは大麻を吸ったタクシー運転手に脅されたり、さらに前に滞在したトルコでは(その前にいたドイツの寒波のせいで)肺炎になりかけてベッドに伏せったりしていたのだ。ローマについた途端、あったかい!明るい!街並みが美しい!(パスタもワインも美味しい!) ということで一気にテンションが上がり、ローマ駅東側のホステルから、夜中、トレビの泉方面へ散歩することにした。
わぁー!あのトレビの泉!!と喜んでティラミス味のジェラートを食べ、さらに歩きパンテオン、さらにさらに歩き、魅了され続けているうちに、夜もすっかり更けていた。
そこで、周りの人に駅の方向を聞くも「駅!?ここから歩きなんて無理だよ!」という反応。(……え、歩いて来たんだけど)と思うも、私はすっかり迷子(当時25才)になってしまったのである。
何人かに尋ねるうちに、どうやらバスに乗れば帰れそうなことがわかった。それっぽいバス停にて待つこと数分、やってきたバスは、まるでインドの列車のように超満員で、乗り口からも人がはみ出していた。
いま思うと、スリに遭わない人はいないローマでとんだ暴挙だけれど、その時は「早く帰らないと殺される」「このバスに乗らないと一生帰れないかもしれない」という気持ちで、隙間をぬって、超満員のバスに乗り込んだのである。
私の目の前にいたのは、修道女のように髪を覆った女性とその娘さんだったと思う。超満員で温度も上がりきったバスが激しく揺れると、彼女は腕を直角にして私の方へ出して、つかまれ、のようなことを言った。そのとき英語の単語だったのか、それとも彼女は英語を話せなかったのか思い出せないのだけれど、もちろん名前も知らない、あの、私に差し出された腕は、旅の一番よい記憶の一つとして今も鮮明に残っている。
10代のころから、人には自慢できないようなへっぽこ旅を繰り返してきて、最近とみに思うのは、私が留学した2010年ぐらいを契機にして、旅の仕方や意味が変わってきたな、ということである。
というのも、私が留学したころ、スマートフォンを使っている人は周りにはいたにはいたけれど、ここまで一般的じゃなかったし、ハイデルベルクの旧市街地でもWi-Fiがあるカフェはスターバックスかスターカフェか、のような感じだった。
私は学部生のころ、留学生の受け入れの手伝いをしていた関係で2007年からfacebookアカウントを持っていて、留学中も友達とパーティーの情報交換に使っていたけれど、その頃は日本人の利用者はこんなに多くなかったので、私も英語やドイツ語でポストしていた。
留学前に指導教官から「あなたはおしゃべりですから、話さざるを得ない状況になったら必ずドイツ語は上達します。でも、スカイプやメールなんかで、日本語をつかっていたら、だめです。だから、僕はあなたに連絡しません」と宣言されたこともあり、触れる日本語は、たまに聞くポッドキャストの落語と日本学学生、そして持参した本だけ、という状況で、先生の目論見通り、メキメキとドイツ語(ただし会話のみ)が上達していった。
今だったら、スマートフォンがあるので、毎日親や友人からLINEがくるだろうし(留学して初めて「親に連絡しなくていい!」という開放感を味わったわけである)、グーグルマップさえあればローマで道に迷うこともなかったかもしれない。
でも私は、道に迷うために旅行をしているような気がする。道に迷って、ひとと話し、普段の日本での生活ではでくわせないような出来事や景色が見たい。それはガイドブックに載っていたり、Instagramの美しい写真の再確認じゃない。(あくまで私の場合)
そんな飼い主(?)なので、今日もまた、帰りつかなかったルンバを優しく充電ベースに戻すのである。
や
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