第2回:「私はフェミニストじゃないけれど…」(Chihiro@Chichisoze)
古来より、「沼ZINEに願わば、叶わぬことなし」と言われる。私も最初は半信半疑だったが、前回『世界の起源』の版権が取れるようにと祈ったら、日記が公開されたその日のうちに願いが叶ってしまった。すごすぎる。
(本当は、沼ZINE主催・翻訳家・編集者の山口さんがいろいろ手を尽くしてくださったおかげだ。本当にありがとうございました。私もがんばります!!!)
←編集追記:いやいやいや、Chihiroさんの熱意のおかげです!代理店の方も根気強くありがとうございました……!!これから刊行まで頑張ります⭐︎
そういうわけで私は今、『世界の起源』を翻訳している。自分の好きな本を訳せるなんて初めての経験でとっても幸せだ。
第2回:「私はフェミニストじゃないけれど…」
「どうやって、これをおもしろおかしく話したらいいのかな、えーと」と思うような笑えない話題がときどきある。今まさに私が直面していることがそれだ。笑えない。いや、本当はけっこうネタにして笑っているけど、不謹慎だからそれは言ってはいけない。
「里帰り出産」という言葉がある。今住んでいる場所と、その場所に住んでいる夫から離れて実家に帰って出産をすることだ。ある調査では、回答者の60%が里帰り出産を経験したと答えていている。妊娠・出産という大変な時期に、夫の世話と家事の免除&実母のサポートという夢のようなライフスタイルを享受できたら、それはもう心強いだろうと思う。
私は妊娠・出産の予定は全くないけれど、フルタイムで働きながら家事もして、夫の相手もして、翻訳もすることに限界を感じ、このたび里に帰ってきた。一番大きなスーツケースに夏服を詰めて、パソコンと本と必要最小限のものだけ持って家を出てきたのだ。詳細は省くけど、いろいろ考えることもある。
なので、景気づけに、フロランス・ティソ&シルヴィー・ティソ監督『私はフェミニストじゃないけれど…(Je ne suis pas féministe, mais...)』(2015年)というDVDを観てみた。今一番気になっているフランスのフェミニスト、クリスティーヌ・デルフィについてのドキュメンタリーだ。
予告編(字幕なし)
クリスティーヌ・デルフィは1941年生まれのフェミニスト活動家でMLF(女性解放運動、Mouvement de libération des femmes)の創設者。フェミニズムとジェンダーを専門とする社会学者でもある。1960年代にアメリカに留学し、公民権運動にも関わっている。ジェンダーの概念を最初にフランスに紹介したのもデルフィだと言われる。
私が最初にデルフィのことを知ったのは、ジェローム・オスト監督『スカーフ論—隠れたレイシズム(Un racisme à peine voilé )』(2004年)の上映会だった。フランスでは2004年に、公立学校におけるイスラム教徒のスカーフ着用を禁止する法律が制定された。本作はこの法律に反対する立場から、様々な専門家の意見を取り上げたドキュメンタリーである。映画の中でデルフィは、弱い立場のイスラム教徒の女子生徒の側に立ち、デモに参加しながら、この法律は人種差別に他ならず、女性全体のためにもならないという批判を展開していた。ものすごく怒っていた。まっとうで、信頼できそうなフェミニストだなと思った。
『スカーフ論争—隠れたレイシズム』(字幕なし)
デルフィは日本ではあまり知られていないけれど、私と同世代のフランスのフェミニストへの影響はたぶんとても大きくて、ふとした瞬間にその存在の大きさを感じることがある。
たとえば、私が大好きで大好きで大好きな、「社会、政治、家父長制、猫、豆腐、リアーナについて語る」フェミニズム・ポッドキャストQuoi de meuf(クワ・ド・ムフ)には、冒頭に最近の個人的なできごとについて話すコーナーがあるのだけど、そこでもデルフィの全著作を再読中だという話が出てきた。ほかにも、ちょっと気をつけていると本当にいろいろなところで名前を聞く。
デルフィの著書は多数あるけれど、日本にはあまり紹介されていない。日本語で読めるのは英語版から訳された『なにが女性の主要な敵なのか −ラディカル・唯物論的分析』 (勁草書房、1996年)とアンソロジーに収められた論文のみのようだ。フランス語で精緻な研究を読むのは骨が折れるので、私もまだ『なにが女性の主要な敵なのか』しか読んでいない。
今回観た『私はフェミニストじゃないけれど…』はデルフィのこれまでの活動を総括する内容で、同じく社会学者でフェミニストだという監督シルヴィー・ティソがインタビューをしていく形式だった。作品のタイトルは、デルフィがよく口にする次のような逸話に由来している。
「前の世代のフェミニズム運動が大きな抑圧を受けた結果、フェミニストという言葉はとても軽蔑的な含みを持った悪口になってしまった。よく覚えているけれど、私はある時期、何か少しでも言いたいことがあると、『私はフェミニストじゃないけれど…』と言ってから話を始めていた。多くの女性にとって身に覚えのある過去だと思う。そして残念ながらそれは現在も続いている。また状況が前のようになってきているから」
このドキュメンタリーの中でデルフィが話すトピックは、フランスの国立科学研究センター内での女性差別と同性愛者差別、過去の研究にまつわる逸話、売春合法化、両親のこと、初恋、レズビアンであること、人工中絶合法化のための署名運動(「343人のマニフェスト」)、イスラムスカーフ問題など、多岐にわたっている。家族や個人の歴史とこれまでの活動が幅広く取り上げられていて、デルフィの人となりがよくわかる構成だった。
全編から伝わってくるのは、デルフィの潔さだ。信念にしたがって生きていて、正直だ。「フェミニズムがまだしていないことがひとつある〔…〕それは、男性には特権があり、その特権は廃止しなくてはならないと明言することだ」などと言うのだ。
また、戦う相手を間違えない知性も感じる。たとえば、売春合法化を求めるセックスワーカーについてはこんな発言をしている(1975年の白黒の映像が引用されていた)。
「売春には反対なのに、どうして売春合法化と認知を求めるセックスワーカーを支持するのか?と言うのは詭弁であり、私はこれを糾弾する。なぜならこの詭弁は、2つの理由から看過できないから。まず、それはまるでガン撲滅のためにガン患者を殺せと言っているようなものだから。ガン患者はガンの被害者であって、非難すべきは彼らではない。次に、男性が女性を支配するやり方は、まさに女性の分離と分断だから。セックスワーカーはすでに十分に軽蔑されている。ほかの女性がさらに彼女たちを軽蔑する必要はない」
こういうデルフィを見ていると、私は力が湧いてくるような気がする。映画のテーマ曲も、これでもかというほど力強くて、いい感じに今の私の気分に合っていた。こんな心意気で生きていきたいものだ。
Lesley Gore, You don’t own me.
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