親切な洗濯者(イシイシンペイ)

  

 ある朝のこと。仕事に行く時間よりもだいぶ早く目が覚めたので、たまった洗濯物を片付けることにした。

 洗濯かごを抱えてアパートの共同ランドリースペースに降りていく。こちらの集合住宅では、備え付けの洗濯機・乾燥機を共同で使うことがふつうである。使うたびに料金がかかるものの、引っ越しのときに、大きな機械を運んだり買い替えたりしなくていいのは合理的だ。部屋も洗濯機を置かない分、広く使えるようになっている。

 さて、ランドリースペースに入ってみると、早朝にもかかわらず先客がいた。大量に衣類を持った中年女性が、機械の説明書きをにらんで首をかしげている。ここに来るのは初めてらしい。まあシンプルに使い方書いてあるし分かるだろと思って、自分の服をドラムに放り込んでいると、そのおばさんが「チョギヨ〜」と話しかけてきた。朝鮮語で「ちょっとすみません」の意である。 

 洗濯機が動かなくて困っているらしい。ここの洗濯機はプリペイドカードを差し込んで、機械のメッセージ通りにスタートボタンを押すだけで動く。見ていると、機械のメッセージの出ないうちからせっかちにボタンをピッピ押してしまうのが原因のようだった。 

 横から私が「あ~No no, モンジョ ヨギ カドゥルル ノッコ アニアニ キダリセヨ イェーオケイオケイ」などとインチキ朝鮮語で操作法を説明すると、おばさんも「あーなるほど」という顔でうなずいている。うなずきながらまたせっかちにボタンを押しまくって機械を止めるおばさん。ゆっくりやれっちゅうのに。しょうがないから私がほとんどやってあげた。おばさんの服は洗濯機4台分くらいあった。「コマウォヨ〜」とおばさん。なんのなんの。朝から年長者に礼を言われて気分の良いことである。  

 いやはや。  

 こう書くと、英語の分からない人を助けてあげて俺えらいという感じである。しかしもちろん、こんなことは非常に稀であり、ふだんの私は圧倒的に助けてもらう側である。この街では英語の苦手な人間なんて星の数ほどいて、誰も気に留めないとはいえ、お店のレジとか、電話口で、ちょっとした言い回しが聞き取れず硬直すること、日々の茶飯事だ。最近さすがに少しずつ覚えてきたが、はじめの頃は「ポイントカードは持ってるか?」とか、どうでもいいことを何回も言い直してもらい、そのたびに地味に削られていた。  

 そんな私が逃げ込んだ、というか部屋を借りているのは、コリアタウンの一角だ。ロサンゼルスのコリアタウンといえば、北米最大はもとより世界最大ともいわれる(基準不明)くらい、とにかくでかいので有名だ。ダウンタウンと呼ばれる中心市街から西に車を走らせると、すぐにハングルの看板が目立ちはじめ、そこから3kmくらいが延々とコリアタウンである。東京の小さな自治体ならすっぽり入ってしまう範囲に、韓国・朝鮮系の人が集まって暮らしている。韓国スーパーで日本の食材も揃うし、私は少し朝鮮語をしゃべることもあって、なに不自由なく生活できている。  

 最初はもっとアメリカアメリカしたところに住もうかとも思ったが、いかんせん入国したて、信用情報絶無の外国人には住居選択の自由はあまり無く、現金即決で貸してくれたのは今のアパートだけだった。  

 学生時代から、縁あって韓半島の人々とその文化には多大な恩を受けてきた私だが、アメリカに来ても引き続きお世話になりまくっている。3秒考えて「いいぜ」と部屋を貸してくれたアパートの管理人から始まって、いつも丁寧なクリーニング屋のおかみさん、家から徒歩30秒のソルロンタン屋のお姉さん(アニメ声)。ある店では、財布を忘れて、家に取りに戻らせてもらったこともあった。みんな優しくて全方位的に足を向けられないので、天井から足を吊って寝る始末である。  

 冒頭の洗濯ルームで会ったおばさんは、おそらくロサンゼルスに住んでいる息子か娘を頼って一時的に滞在しているのだと思う。我がアパートの洗濯機は「液体洗剤」と書いてあるところに粉石鹸が詰まっていたり、「使用後はフタ開けとけ」と書いてあるのに閉めっぱなしで中が蒸れてたりすることがよくある。つい「みんな表示読まなすぎだろ…」と思ってしまうが、ここは移民の街、そもそも読めない人が多いのだ。 

  

 ただ、だからといって、このアパートでは韓国系住民のためにハングルの貼り紙で案内を書いたりはしない。やらない理由として、見た目の問題とか、ハングル読めない人への遠慮とか、いろいろ考えられるけど、たぶん、めんどくさいんだと思う。スペイン語の表示は普通にあふれてるし。  

 よろず細かい気遣いはしない。わからないことはいつでも聞いてくれ。そういう街の雰囲気が好きである。

イシイシンペイ

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