第3回:『子供のいない人生という選択』(Chihiro@Chichisoze)
自分は世の中の少数派だと思っていたら、実はとんでもない多数派だったということが時々ある。たとえば私は嵐の二宮のことをずっと「ジャニーズにしては地味な顔で、嵐の中でも冷遇されていたところ、映画『硫黄島からの手紙』に出演して演技派としてやっと実力を認められた人」だと思っていた。そして、誰も見ていないけど私は二宮の魅力に気がついているし、たったひとりで応援しているのだと信じていた。なのにある時、嵐の一番人気は二宮だと知った。そんなメジャーな人だったなんて、裏切られた気分だ。傷ついた。私だけの二宮だと思っていたのに。
でも少数派だと自覚していて、実際少数派だということもよくある。その筆頭が私にとっては「子供いらない問題」だ。結婚して、それなりの年齢になったので子供を作ろうとしていた時期もあったけれど、なかなかできないでいるうちに考える時間ができてしまい、考えているうちになんとなく、欲しくないという自分の本心に気がついてしまった。下手の考え休むに似たり、とはこのことかもしれないけれど、必要なら一人で後悔するので放っておいて欲しい。ちなみに夫は子供が好きで、どうしても子供が欲しいそうなので、話し合いは決裂した。
さて、そういうことがあってから、子供がいらない人たちは一体どういう気持ちでいるのかが気になって、シャルロット・ドゥベスト『子供のいない人生という選択』(Charlotte Debest, Le choix d’une vie sans enfant, Presse universitaire de Rennes, 2014)という本を読んでみた。社会学の博士論文が元になった本だ。
この本のよいところは、ある程度の人数を対象に行ったインタビューの分析に基づいて、子供を持たない選択をした人々の考えや特徴を丁寧にあぶり出そうとしているところだ。個人の体験談は吉田潮『産まないことは「逃げ」ですか?』(ベストセラーズ、2017年)など、日本語で読める本がいくつかあるけれど、ある程度まとまった人数を扱っているものはまだないように思う。
本書で著者は、自分の意思で子供を持たない人たちのことをSEnVol(サンヴォル)と呼んでいる。これは、Sans enfant volontairement(「意図的に子供がいない」)を縮めた著者の造語で、「飛び立つ」という意味の動詞s'envoler(サンヴォレ)の三人称現在形s'envole(サンヴォル)に音の上で通じる、自由や束縛のなさを連想させる詩的でやさしい呼び方だ。この記事では、私もこの用語を使うことにする。
また、この本全体の大きな特徴は、全編にわたって今話題のécriture inclusive(包括書法)と呼ばれる新しい書記法を採用していることだ。フランス語の文法規則では、男女の両方が含まれる複数形は男性複数形で代表させることになっていて、「学生」という意味のétudiantという単語を例にとると、男性単数はétudiant、女性単数はétudiante、男性複数はétudiants、女性複数はétudiantesという具合に語尾が変化し、男女両方が含まれる複数の場合、男性複数と同じ形のétudiantsが用いられる(実は、歴史的には常にこうしたルールだったわけではない)。そして現在、「男性=普遍」とするこの規則を見直そうという動きがあり、複数形の中に女性が含まれていることを明示するために、男女を含む複数ではétudiant.e.sなどと女性形の語尾も書く書記法が広がり始めている。これが包括書法である。
著者の立場がだいたいわかったところでもう一点付け加えると、西洋の本では章の初めにエピグラフといって、ちょっとした引用句が置かれることがあるのだけど、本書の序文と結論のエピグラフはクリスティーヌ・デルフィである(ほらね)。
全体は5章に分かれていて、生殖に関するフランスの制度と社会状況(第1章)、サンヴォルたちのプロフィール(第2章)、サンヴォルに対する社会的圧力(第3章)、サンヴォルたちが子供を望まない理由(第4章)、子供を持たないこととフェミニズム(第5章)といった論点が考察されている。
研究方法は30〜63歳のサンヴォル51人を対象としたインタビューの分析で、男女比は女性が33人、男性18人となっている。この人々は、パートナーの有無にかかわらず、インタビューへの参加の呼びかけに自発的に応募してきた人々で、多くが高等教育を受け、社会規範やジェンダー規範について言語化できる文化資本を持っている人々だと著者は紹介する。
生殖をめぐる社会状況に関しては、フランスでは他のヨーロッパ諸国に比べ1世紀ほど早い、18世紀半ばから出生率の低下が始まったという特異性がある。このため19世紀末にはすでに避妊と中絶を制限する法律が整備され、1920年には避妊と、避妊に関する情報を広めるなどの行為が法律で禁じられるようになった。そして、第二次世界大戦後になるとベビーブームが起こり、出生率が以前に比べて40%も上昇するが、望まない妊娠や中絶も増えていった。同時に、1970年代半ばから女性の労働市場への参入が始まる。
こうした背景の中、幸福な母性(Maternité heureuse)という産児調整合法化を目指す団体(1956年結成)や、女性解放運動(Mouvement de libération des femmes、1968 年)、中絶と避妊の合法化運動(Mouvement pour la libération de l'abortement et de la contraception、1973年)といったフェミニズム運動が登場する。そして、これらの運動の結果、1967年にピル合法化、1975年には中絶合法化が達成され、フランスでは子供を持つタイミングや子供の人数を選択することが可能になった。
では、サンヴォルとは、どのような人々なのだろうか。2010年に行われたある調査によると、意図的に子供を持たない人の割合は18〜50歳のカップルの3.5%で、カップルかどうかを問わない場合は5%だったという。1995年の別の調査では、50歳以上のカップルの4%という結果が出ている。他にもいくつかの調査で同様の数字が出ているので、近年では概ね全体の4〜5%の人々が自ら進んで子供を持たない選択をしていると言えそうだ。
サンヴォルの特徴について著者が指摘している傾向はさまざまあるけれど、本書でキーワードとなっているのはépanouissement(才能や能力の開花、自己実現)だ。サンヴォルに共通して見られる傾向は、子供に縛られずに自由に自己実現をしていきたいと望んでいるということなのだ。
サンヴォルはキャリアの面でも自由と自己実現を求める。よく、経済的に不安定なせいで子供が持てないという言い方があるけれど、サンヴォルたちのインタビューを分析すると、因果関係はむしろ逆で、子供を持たなかったからこそフリーランスや芸術分野の職業など自由なキャリアが可能になったという側面が見えてくる。サンヴォルにとって職業とは自分自身の延長であって、たとえ経済的には不安定であっても自分の信念を裏切らない職業に就くことが大切なのだ。
とはいえ、フランスは出生率がとても高い社会で、子供を作ることに対する社会的圧力も存在する。とりわけ女性にたいする圧力は大きく、女性のサンヴォルの中には、その圧力を早い時期から感じ取り、小中学校の時点で子供を欲しくないという自覚を持った人もいる。著者は、妊娠・出産の責任を負うのは女性だとする圧力の一例として、カップルが「子供はまだか?」と聞かれるのは必ず女性がいる時であり、同じ質問を一人の時に受けたことがあると答えた男性は今回のインタビューではいなかったという調査結果を示している。
さらに、こうした質問を受けた際の受け答えにも男女の差があり、女性は「今はいらない」「そのうち」など答えをにごす戦略をとるが、反対に男性はきっぱりと「一生いらない」と答える傾向があるという。
社会的圧力としては、他にも子供を持たないなんてわがままだ、というものがある。けれども、著者が引用する2009年のある調査結果では、子供が欲しい人々があげる理由は、「子供は人生をより美しく、楽しくしてくれるから」60%、「家系存続のため」47%、「年をとったときにさみしくないように」33%であり、そもそも子供中心の考え方でもなければ、特に利他的でもないということが示される。(ちなみにサンヴォルが納得できる、子供が欲しい理由は「欲しいから欲しい」という純粋な動機のみだという。)
またこれは、日本にもある見方だけれど、子供を産まない女性は半人前で、成熟した女性ではないという偏見がある。インタビューの中でもこれを内面化しているサンヴォルがいた。だが、この見方は女性をあくまで産む性としてしか認識しない、女性を個人として認めない考え方であると著者は批判している。
では、サンヴォルが子供を欲しくない理由は何だろう。インタビューで言及された理由は、職業生活・親としての生活・夫婦生活・自分自身の個人の生活の折り合いをつけるのが困難、きちんと育てる自信がない、今の世の中で子供を生むのは子供にとって不幸、他にやりたいことがある、などであった。ピル解禁を経験した1947〜1960年生まれの女性のサンヴォルにとっては、子供を持たないことは、それまで女性に課されていた低い教育水準・結婚・子供の世話からの解放という意味を持っていたというのも印象的だった。
最後に著者は、子供を持たないこととフェミニズムの関係について考察する。今回の調査では意外にも、フェミニズムの理論に言及する人々はほとんどいなかった。若い世代では、無償労働としての家事という文脈でクリスティーヌ・デルフィの名をあげる人がいた一方で、1950年代生まれのあるサンヴォルは自分のことをフェミニストではなく、ただのエゴイストだと言う。けれども、本人が意識しなくともサンヴォルはフェミニスト的な実践を行なっているというのが著者の見立てである。
そして、その議論の中心となるのが、サンヴォルによる家庭における男女の不平等の拒否だ。女性のサンヴォルたちは、キャリアと家庭の両立の難しさについて語っている。家事を多く負担するのも女性なら、子供ができた時にキャリアをあきらめたり仕事の仕方を変えたりするのも女性の方なのだ。
家事・育児の不平等にはいわゆるcharges mentales(精神的負荷)も含まれる。これは、ひとつひとつの家事の負担ではなくて、その全体を見渡して夫に指示を出したり、「帰ったらまず夕飯を作って、洗濯機を回して、夫が帰って来る前にゴミ出しの準備をして」などと考えたりして、まるで家事を回す全責任が自分にあるみたいに振る舞うことから来る精神的な負担のことを言う。
この点でとても興味深かったのが、ヘテロセクシャルからレズビアンになったベネディクトという女性のインタビューだ。彼女は、以前パートナーだった男性とは子供を持ちたくなかったけれど、現在の女性のパートナーとであれば、母親の役割を一方的に押し付けられることがないので子供を持ってもいいと考えている。子供を持つことの拒否はある人々にとっては男女の不平等の拒否と同義であり、サンヴォルの女性たちは、子供を持たないことによって不平等な家事の負担や、社会に押し付けられるその他の性別役割分担を拒否し、結果的に自分自身の身を守っているとも言える。
以上が『子供のいない人生という選択』の内容だ。調査対象が社会階層の高い人たちに偏っているので、そのまま受け取れない部分もあるし、不十分なところもきっとあると思う。サンヴォルの言っていることも、共感できる部分とピンとこない部分があった。でも私は、引用されていたインタビューを通して、自分の思うように生きようとしている人たちの声が聞けて、とても勇気付けられた。
猫には9つの命があるというけれど、人間は猫じゃないから人生一度きりだ。限られた時間の中で、私も自分に正直に自由に生きていきたいと思った。
0コメント