34クラブ(や)


 こんな夢を見た。私「たち」は、登山鉄道で箱根をのぼっている。前向き方向へ進むと思えば、ポイントが来て、今度は後ろ向きに走り出す。そんな風にジグザグと山を登るうちに、外は星空になっている。そのうち私は隣にいるのが祖母だと気づく。私は世界のうちで多分いちばん祖母が好きだ。突然、車内のテレビが騒がしくなる。ニュース速報で、宇宙を構成する物質に変化が起こったため、間も無く世界は消滅すると言う(分子構造から粒子が抜け出るようなイメージだった)。私は祖母にしがみついて、大好きだと伝える。そのうち、カウントダウンで予告された時間が来て、どうなるのだろうと思っている意識ばかりが少し残って、真っ白になる。目覚め。


 留学をする前か最中にも、不思議な夢を見たことがあり、その時は私は高校の同級生とハワイの空港でたまたま会い、その後、体育館で音楽関係のイベントを見ている。地震が起こって、私たちはみんな岩肌がむき出しになった山の上にいて、水がどんどん迫ってくるのが見えて、そのうちに誰かが立てた枝の十字架三つを前に(しかもそこにミッキーとミニーの汚れたぬいぐるみが置かれている)懸命に祈り始めるのだが、イエスが現れる兆しはない。私たちは水に飲み込まれてしまい、私はカラヴァッジョの絵で見た、ヨハネの両目を見る。目覚め。


 前者の、最近見た夢の方ではしっかりとその日付を覚えていたので、計算すると私が34歳の頃だった(と、先のことなのに過去形で記してしまってもよいだろうか)。34歳ーー私が好きな人々は、皆34歳でこの世を去っている。私が大好きで研究していたスイスの作家も、フランスの思想家シモーヌ・ヴェイユも。そして、最近この「34クラブ」に、ニュージーランドの作家、マンスフィールドが加わった。


 前に紹介した本棚屋さんはとても素敵な女性が店長(代理)をしているので、最初には彼女が選んだ本のセットを目当てに来店した。しかし、私がたくさんのセットの中から選んだのは、系列店の書店店長をしているTさんが選んだセットで、と言うのも、その中に含まれていた『マンスフィールド短編集』がなんとなく気になってしまったのだ。多分私は何年か前に「ジェーン・オースティンの読書会」の映画を観て、それに影響されて彼女の全作品を一気に読んだことがあったので、6つしかない彼女の長編のうち一つのタイトルと同じ苗字が気になったに違いない。

 マンスフィールドはニュージーランド生まれの作家で、音楽を志すが親に理解を得られず、渡ったロンドンでチェーホフにも影響された作品をいくつも生み出している。その「意識の流れ」小説は、かのヴァージニア・ウルフにも影響を及ぼすほどだったのだけれども、肺を病み、34歳に喀血してこの世を去った。

 日本橋で購入した小さな本棚と、そこに収められた書籍3冊を家に持ち帰り、「マンスフィールド」を読み始めて、私は恐ろしくなった。意識の移り変わり、さらにその視点の移動が、その癖が、自分のことのようにしか思えなかったのだ。こんなことを書いてしまったらあまりに畏れ多いけれど、私はこの世で、これほどまでに自分に似た人がいたなんて、ものすごくびっくりしてしまった。

 そんなようにして、少しずつ彼女の作品を読み進めてはいたものの、あまりに怖くて最後まで読めずにいる。私は(普段は)身体が丈夫だけれど、マンスフィールドのように、やっぱり34歳という年齢が私にも意味を持つのではないか……とも思ってしまうのだ。 


 上に(普段は)と書いたけれど、普段は、朝5キロ走ってから仕事に行き、営業もこなして、夜は芝居を観にダッシュし、それから日付が変わるまで飲み続け、それからまた朝起きて駅へ駆け……なんて生活をしてもウンともスンともないのに、数ヶ月に1回ほどの結構な頻度で、バタッと倒れてしまう。声が全く出なくなり、1週間ほど40度の熱が下がらなかったりする。その時は何も考えられないし、病院に行く体力すらない。やっと病院に行って薬を飲んでもよくならない。ひたすらその期間が過ぎるのを待つほかない。その期間には「普段」なんて、想像の彼方へ行ってしまう。そんなの存在したのかしら。辛いと思う意識すら湧かない。

(※また体調が悪くなるのを恐れて、最近養命酒を飲み始めました。ドイツの醸造酒イェーガーマイスターとほぼ同じ味で、飲むと手が温かくなる。「マズイ」という評判と裏腹に、美味しいのでどんどん飲んでいる。) 


 そんな風にして、定期的に「わー!人生サイコー!すべてが上手くいく!」という気持ちと、「もうだめだ、今度こそ無理……きっとどこかおかしいんだ」と思う気持ちとを、極端に、遊園地のバイキングの乗り物のように行き来しているので、きっときっと銀河鉄道と鳥取で乗った電車とに影響された冒頭の夢でさえ、自分で創り出した34歳神話(しかも例は3つ)を意識してしまうきっかけになってしまうのだ。


 新年からこんな話で申し訳ないけれど、もし34歳で人生が終わるとしたら、と考えてみると、驚くほどに後悔がないだろうと思う。しかしやってみたいことは山ほどあるので、どんどんこなしていきたい、と前向きになれたのだ。


 前回の更新で、私は自分の本棚を見ながら、もう自分にはやってこなかった可能性のことを書いた。昔はWe will rock youの歌詞でさえ、自分の失われていく可能性がを暗示されているようで怖かった。けれども、可能性が消えていくのは悲しいことじゃない。一方で、よくも悪くも想像もしなかったことが現れる可能性もある。よい面では私は自分が、2019年にどこまで行き着くかわからない。反対に、悪い意味では、何年か前には考えられなかったようなことも起きた。


 大学に入り、私は出来が良い学生ではなかったし、授業に行け(か)ず、単位を落とした科目もあった。第二外国語でも全然授業についていけず、しかし担当の先生は何回でもいいから再テストを受けに来なさいと研究室でチャンスを何度も与えてくれた。そのうち、私は自分がいつか留学をしたいと話し、先生はその可能性を応援してくれた。先生のゼミに行くようになると、今度はドイツから個人輸入したというワインや美味しい食べ物を毎週ごちそうになった。「貧乏なのに、こんなに舌ばっかり肥えてしまってどうしよう」と言うと、良いものを知っておくのは良いことです、と言ってくれた。夜中に送った論文も、次の日までに目を通して的確なアドバイスをくれた。

 働いて数年、生活費以外のお金も少しながら出せるようになり、やっと、やっと今度は私がごちそうをする番だと思っていたのに、具合を崩したという先生には、いつしか誰も連絡がつかなくなってしまった。


 私は今度は間接的に先生に感謝を伝えるためにも、きちんとした仕事をこなして、実直に、筋を通して、公明正大に生きていることを伝えたい。と思い始めている。


 と、ここ数回の更新がセンチメンタルで具体的な行動に欠けてしまったのは、2018年はほとんど旅行せずにいたからだろう。2019年はどんどん旅に出る。何と言っても34歳という見えない区切りをどうしても意識してしまうのだから。あと何年、あと何時間。後悔はないけれどやっておきたいこと、綴っておきたい未経験の感情がたくさんある。そんなことを言っていても、私の手相の生命線は長く伸びているので「緩慢さ」をこそ恐るべきなのかもしれないけれども、とても前向きな気持ちで年の境目を迎えていることをここでしっかり言葉にしておこうと思います。

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