紅茶とチョコレートの日々(野田まりえ)

 私は、高校卒業後にイギリスの大学に進学し、3年間をイングランド中部の街で過ごした。大学までの道のりを、ゴミの写真を撮りながら通った。なぜ道端のゴミの写真など撮りたかったのか、いまとなっては自分でもわからない。観光地ではないイギリス、自分の生活の場所としてのイギリスを写真に残したかったのかもしれない。 


 授業を受けるために大量の本を読み、単位を取るために何本も論文を書いた。論文の提出締め切りが近づくと、夜中だろうが早朝だろうが友人と電話しあい、それぞれの論文の内容を議論しあった。クラブに行って夜遊びすることを「クラビング」と言うが、クラビングもあまりせず、勉強ばかりしていた。唯一の趣味が、ゴミの写真撮影という、なんとも暗い大学生だった。撮影したゴミの写真は誰に見せるでもなく、ただパソコンの写真フォルダにたまっていった。時折、気に入ったものをデスクトップの壁紙に設定するなどして、一人、地味に楽しんでいた。


 イギリスに暮らしていた頃は、そんな日々も楽しかった。 

 日本で暮らしていたら、ゴミの写真を撮って歩こうなどとは思いもしなかったと思う。外国に暮らしていたから毎日カメラを持って歩いたし、自分は外国人だから多少の奇行も許される気がして、道端にしゃがみこんでは、何が面白いのかもわからない写真を撮っていた。 

 その写真が、いまとなっては不思議と懐かしい。写真に写っているゴミは、私が日常的に目にしていたものたちで、自分で捨てたゴミではないのに、なぜか自分の生活を思い出す。 

 よく晴れた日に、サンドイッチを買って図書館の前の芝生でピクニックをしたこと。なかなか進まない論文と格闘する夜を、紅茶とチョコレートで乗り切ったこと。近所のパブの前には、煙草を吸う人たちが立っていて、夜はなんとなく前を通るのが嫌だったこと。いつも行っていたスーパー。スーパーまでの坂道。


 写真の赤い袋は、Maltesersというチョコレート菓子の袋だ。日本では見かけないが、とても美味しいので、ぜひ日本でも販売してほしい。外国のお菓子は甘すぎるという人もいるが、たしかに甘い。イギリスで売られているチョコレート菓子は、どれもとても甘かった。最初は甘すぎて好きになれなかったが、日常的に紅茶を飲むようになり、チョコレート菓子の楽しみ方が分かってきた。甘いチョコレートやビスケットをかじり、その甘さで濃いミルクティーを飲むのが良いのだ。甘いお菓子はすべて、お茶のためにある。 

 私はもともと珈琲が好きだったが、イギリスでは毎日紅茶を飲んでいた。なんとなく、イギリスにいるのだから紅茶を飲むべきだと思ったのだ。 

 イギリスで良く飲まれている紅茶といえばPG tipsが代表的だが、私はYorkshire Teaというブランドが好きで、好んで買っていた。イギリスのティーバックは日本のものに比べて大きめで、茶葉がたくさん入っているからか、味が濃い。大きめのマグカップにティーバックとお湯、冷たいままの低脂肪牛乳を入れて飲むのが私の定番だった。紅茶が抽出される前に牛乳を冷たいまま入れるのがポイントで、こうすることで紅茶が冷めるのを待つ時間が短縮できるだけでなく、キッチンに立つ時間も短くて済む。要はずぼらなのだ。

 イギリスの紅茶のティーバックが大きいのは、どんなに雑に淹れようと、しっかり濃い味が出るようにだと思う。わざわざ蒸らしたりしなくても香りがするし、冷たい牛乳でお湯が冷めても味が出る。

 面倒なことをしなくても味がする。これがイギリスの食生活において重要なポイントなのである。


 暖かい紅茶を入れて、チョコレートをかじりながら夜更かしをした日々が懐かしい。あんなに必死に書いていた論文の内容は思い出せないのに、近所のスーパーの陳列棚はよく覚えている。いまあのスーパーに行っても、すぐにMaltesersの棚にたどり着ける。 

 Maltesersを買って、Yorkshireの紅茶を買って、低脂肪の牛乳を買って、あの時住んでいた家に帰りたい。 



 大学から徒歩5分、George Roadの小さな家に、私は住んでいた。

野田まりえ

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