チェコ編・3回目(兼桝綾)
さてチェコ日記もついに最終回、なのだが前回の更新から大分時間があいてしまった。私がチェコに行ったのは夏の暑いさかりなのに、この文章を書いている今や春兆すといった気候である、前回は旅の目的である、友人の結婚式について書いたので、今回は旅のまとめをしようと思う。
結婚式の次の日は同行の凧ちゃんとプラハ観光をした。旅の後半にきて、ようやく観光らしい観光である。プラハ城もミュシャ美術館もよかったが、何といってもプライド・パレードを見ることが出来たのがよかった。私達の前を並んで歩いていた青年二人が、ふたことみこと何か話して、それから片方の青年が荷物からレインボー・フラッグを出してもう片方の青年の方にフラッグの端を、自分の肩に反対側の端をかけ、また二人並んで歩いて行った。レインボー・パレードのルートはグーグル・マップに虹色で表示された。凧ちゃんは地図を読むのがうまく、つまり目的地にたどり着くのもうまい。トラムに乗り間違えても、慌てて元の場所に戻ろうとする私と違い、凧ちゃんはその時点での目的地への最適解を出し直す、グーグルマップでちょっと調べて。そんな凧ちゃんと一緒に歩くのは楽だった、でもちょっとまずいんじゃないかって気もしていた、チェコまできて、私、無能すぎない?
チェコ6日目は凧ちゃんと、チェコ在住の友人Aちゃんの家族と、クトナーホラに行った。プラハから1時間程の電車の旅だった。2台のベビーカー(と、勿論ベビーも!)が一緒の旅だったが、通りかかった親切な男性が手伝ってくれて、駅の階段も比較的スムーズだった。
クトナーホラでは1万人分の人骨で装飾された教会と納骨堂を見学し、Aちゃん一家と凧ちゃんの宿泊するホテルで昼食(ここでもタタラークを食べた)、その後Aちゃんと凧ちゃんと私で、行楽場所まで移動して、ボブスレーランという長い長いすべりだいをすべった。そして私は「じゃあそろそろ行くね」、と言った、そう、私は明日の朝の便で、日本へ帰らないといけない、だから私だけは今日のうちに、プラハに戻らないといけないのだ。駅までAちゃんと凧ちゃんが送ってくれた。また日本で、もしくはチェコで。二人と別れ急行に乗って、私は、自分で、グーグルマップを開いた。現在地をしめす点が、ぐんぐん、移動してゆく、この点が私自身を示すとは、にわかには信じられなかった、だってグーグルマップにはあまりにも知らない地名が並んでいる、私本当にここにいるの? そして急に不安になった、私を示す赤い点が、プラハからどんどん外れていくようだったから。私は間違えた電車に乗ってしまったのか? 知らない駅に急行列車は止まり、私は駅名を確かめようと、場合によっては途中下車しようと、思って列車の扉に駆け寄ろうとすると、さっきまで向かいの席にすわっていた男性がこちらに向かって、降りては駄目だとジェスチャーで示す、誰だ、この男性は、私は彼を見たことがあるぞ、と思う、そうだ、この男性は行きのプラハ駅から一緒になって、階段でベビーカーを運ぶのを手伝ってくれた人だ。私はいくらか落ち着いて座り直し、プラハで男性に続いて降り、そしていよいよ一人旅になった。駅前の光景を見て不思議な気持ちがした。もうプラハの街を、既に私は知っていた。ここはもう初めての街ではなかった。もしかしたら、と私は思った。もう二、三回もくれば、もっと自由に、もっと行きたいところに、自分で、調べて、行けるようになるかな、そう、たとえば今の私にとっての名古屋くらいに? と、急に名古屋を例に引き寄せたことで私は勇気づけられ、トラムに乗り、乗り換えの駅で少し寄り道を楽しんで、駅ビルにはってあるスープの広告をまじまじ見たりなんかしながら、最寄り駅に降り立った。財布の中の現金は残りわずかだった。最期の夕食を豪華にしたかったけれど、今お金をおろしても使えるタイミングは限られているので、借りているアパートの近くのスーパーで素朴なポテトチップスとハムだけ買った。昨日も凧ちゃんと立ち寄ったスーパーだったが、レジの女性は何故か昨日より優しくて、いい旅を、というようなことを言ってくれた。でも、もう旅は終わるのだ。アパートに帰り、冷蔵庫のものを片付けた。明日戻ってくるであろう凧ちゃんのために少し残しておいた。それからベッドに座り、向かいの窓の外をトラムが走っているのを眺めながら、行儀悪くポテトチップスを食べた、私が日本の狭い自分の部屋でやっているみたいに。この後も、空港まで送ってくれるはずの予約タクシーがこなかったり、売店で手違いから大量のゴーフルを買うことになったり、色々あるのだが、私のチェコ日記はこれでおしまいとする。さようなら、また次の旅まで。
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