続き(ヨシオ カサヤカ)
※前回記事の続きです。
クライストチャーチでテロ事件が起きたあと、新聞やテレビの見出しで、50人の被害者は「移民」「ムスリム」と形容された。犯人は意図的にこの属性の人々を狙ってテロを起こしたのだから、ニュースにおいて被害者のアイデンティティがそう要約されるのは当然だろう。けれど、その見出しから外れて、ある人はエンジニアだった、また別の人はインドで生まれ、ケニアで仕事をし、その後ニュージーランドに来た、といった個々人の経歴に触れた時、自分がかけていた眼鏡を外し、少し度数の違う別のものに交換したような気持ちになった。この感覚に少し前も遭遇した。今回の事件とは直接関係のない日常でのことだ。
クルド人のSさんと初めて会ったのは2017年の11月だった。感謝祭の祝日を目前にして、インターン先のNGOでも各自が料理を持ち寄ってのちょっとした昼食会があった。ヒジャブをかぶった女性とたまたま隣の席になった。彼女に「あなた、もしかして日本人か韓国人?」と聞かれた。日本人だと答えると、「うちの娘が高校生なんだけど、日本のアニメとかK-POPとか、アジアの文化が好きなのよ。今度娘を紹介するわ」と言われた。そこからお互いの話になった。Sさんはイラク出身で、子どもたちと夫ともに数年前に難民として米国に移住した。当初は、彼女たち一家も新規の難民としてこの団体の支援を受けていた。
これまで3人の子どもたちの子育てで忙しく米国で就労する機会のなかったSさんは、今後の就職を目指し、手始めに旧知のこの団体でインターンを始めたという。会で連絡先を交換したあと、自宅に一度夕食に招待していただいたり、お互いが事務所に来ているときは業務の合間に雑談をしたりした。クルド語が母語で、アラビアと英語も堪能なSさんは、昨年の夏にこの団体でパートタイムのスタッフに採用された。そのころ、私はフルタイムの仕事を転職したことで、以前のように定期的にインターンとして事務所に通うことは難しくなり、彼女と事務所で顔を合わせることは少なくなった。
年が明けて1月、ふと思い立って新年のグリーティングカードを送ってみた。数日後に彼女からお礼の電話が来た。私たちは互いの近況を話した。彼女は新たな仕事を探しているところだった。2018年秋、この団体は新規の難民に対する定住支援事業を終了したため、彼女を含む、事業に関わっていたスタッフの多くは新しい職場を探さざるを得なくなった(トランプ大統領の就任後、米国政府が年間に受け入れる第三国定住難民の人数は年々縮小し、それに伴い現場で実際に支援活動を行う非営利団体への予算も削減された。結果この団体も過去40年間続けてきた活動を従来のように継続することが困難となったのだ)。
Sさんは、米国での資格や就労経験がないとなかなか仕事が見つからない、と口にした。「私は3人の子供を育てる経験をしてきたけど、それは資格としてレジュメに書けないのよね」と。そして、もしも私が電話越しの彼女の言葉を聞き間違えてなければ、彼女は笑いを含んでこういった。
I took care of my three children, I've been an attorney and driver for them many years.
「自分は、子どもたちの世話をしてきて、長年彼らの弁護士でもあり、運転手でもあった」と。
子育てを、そうした言葉で考えることはなかったのでちょっと意表をつかれたが、いわれてみれば確かにSさんの言うとおりだ。保護者は年少者の権利を守る法的代理人だし、車社会の米国においてはほぼ選択の余地なく子どもたちの運転手でもある。そして、看護師でもあり、料理人でもあり、教育者だ。「保護者」と一つの単語で表現される立場は、実に多様な役割の集合体である。さらにSさんは、親としてのみ生きているわけではない。彼女は、彼女の両親にとっての娘であり、夫にとっては配偶者であり、米国にとっては一市民である。また、限られた場所と時間でしか交流していない私が知りえない彼女の顔だって無限にあるだろう。それはどこの誰にとっても当たり前のことである。自分自身を顧みてもそうだ。ただ、私は彼女の言葉を聞いたとき、ああ、私は今までいろいろなものを見ずにいたんだな、と感じた。新しい眼鏡を初めてつけた瞬間の、鏡のなかの自分や周りの景色が数秒前より少し鮮明に見える、あの数秒間に感じる戸惑いと似ていた。
現在暮らしている街で、スーパーに行ったりバスに乗っていると、彼女のようにヒジャブをかぶった女性をみかけることはよくある。それでも、プライベートで互いに連絡をする程度までに知り合ったイスラム教徒の女性は、約2年暮らした今でもSさんとその娘さんのみだ。このためか、知らず知らずのうちに、無宗教の自分との最も目に見えやすい差異である、信仰という属性を彼女と強く結びつけて考えていた。「私は弁護士でもあり運転手でもある」という一言で、それはあくまでも彼女を構成する一つの要素にすぎないということに気づかされた。彼女は、米国に暮らすイスラム教徒の女性のうちの一人であると同時に、米国で子育てをしてきた人々の一人でもあり、これから仕事を得ようとする人々のうちの一人でもある。
と、このくだりまで書いたあと筆がいっこうに進まなくなった。あの事件のあと、Sさんのこの言葉のことをなぜか書きたくなって始めた文章だが、それをどう締めくくりたいのか、ここにきてわからなくなった。脳みそを雑巾のように絞っても、日を置いてみても、何も出てこなかった。 無理やり「結論」を書こうとすると、それは既にどこかで何百回も書かれていることを、コピーしたものになってしまう気がした。それはどうしても嫌だった。彼女の経験や言葉は、私が自己満足な「まとめ」を書くための材料ではないと思ったからだ。
0コメント