旅先での性犯罪被害ーーフラワーデモに寄せて(や)
今から数年前、私は旅行先で性犯罪に遭った。
顛末はこんなことである。いつも往復の格安航空券だけを手に一人旅ばかりしている私には珍しく、大手旅行会社のツアー旅行に参加した。というのも、そこの国に一人で行くのにはハードルが高く感じたし、安全面でもツアーのほうが良いのかな、という気がした。さらに一人部屋料金が非常に安かったため、一人でも参加してよいだろうと、本当に珍しくツアー旅行に参加することにしたのだ。
それなのに、性犯罪に遭ってしまったのは、こんな経緯だ。滞在していた、入り口に厳重なセキュリティのあるホテルの下の方の階へ、朝食を食べに来て、食べ終わってエレベーターに乗り込むと、一緒に乗った大勢の人たちが一人降り、二人降り、いつしか知らない男性と二人きりになった。そこを狙われたのである。私は身体も大きいし、剣道二段で声は大きく、さらに英語も堪能で口も悪いので必死に抗うも、一向に怯まずに体を触ってこようとする相手には、やはり身がすくんでしまった。それでも何とか抵抗して部屋に逃げ帰ると、すぐにホテルの警察等々に通報したのだが、それでも、自分の油断を責める気持ちと、脳内にフラッシュバックするとんでもない恐ろしさ、さらに、部屋がバレてしまったのではないか、という実質的な恐怖もあり、「部屋を変えてもらえないか」とも交渉したが、変えてもらうことはできなかった。あまりに怖いので翌朝には、添乗員さんに相談し、朝食会場に一緒に行ってもらったりもした。
とはいえ、せっかくの旅先である。同じツアーの人などに「実はこういうことがあって落ち込んでいる」と話すと、同情してくれ、せっかくだから楽しもう、と優しい声をかけてもらった。自分でも「楽しまなければ楽しまなければ」と義務感にかられるように、考えないように考えないようにしたのである。
それでも、その出来事がどれほど恐怖だったかというと、日本に帰ってきても、しばらく、見知らぬ男性と一緒にエレベーターに乗らないように、そのような場面になるとフラっと近くを回って次のエレベーターを待ったり、エスカレーターに切り替えたりしていた。それが1年近く続いたのだ。どうしてもだめだった。
話はここで終わりではない。気持ちを切り替えようとしてから滞在先で目にした光景は、やはり素晴らしく、私はここに来てよかったと思った。そしてあんなことは忘れようと思ったのである。何とか自分を立て直そうとしたのだ。
それから、でも、まだまだ辛いことは続いた。また次の朝、ホテルをチェックアウトすると、添乗員さんから、私は一人でフロントに行くようにと言われた。つまり、私が恐怖で動けなかったあの日の夜、屋上のバーで(ルームナンバーのツケで)さんざん飲み食いしただろ、と言いがかりをつけられて、多額の代金を請求されたのである。向こうは「払え」の一点張りなので、私は「んなことあるか! その日はぜえぇぇぇぇったいに部屋にいた!!」とフロントで怒りを爆発させて、「だいたいアンタのとこのセキュリティーどうなってるの!? トリップアドバイザーに『very awful』の口コミ書いてやる!!! 本部にも連絡するからな!」と散々騒いだので、相手も「仕方ない」というような態度になった。
今思うと、あれはホテルからの嫌がらせだったと思う。というのも私が性犯罪について、さんざん文句を言って、きちんと被害届も出したいし同じような目にあう人がいないようにきちんと警察を入れて捜査してほしい、と言い張ったからだと思う(そして今も何の連絡もない)。ではないと、なぜ何十人もいるツアー客の中で、私だけが呼び出されたのか、説明がつかない。
これをお読みの皆さんは思うでしょう。私は一人でフロントに行き、そこの人と英語で喧嘩を繰り広げている。――添乗員さんは何をしていたの? と。その前にこれを聞いて! さらに。苦しいことは終わりではなかったんですよー!
ツアーの最後、飛行機に乗る前に空港で添乗員さんの挨拶があり、「みなさん無事で良かったです、まあ無事でない人もいましたがねー(笑)」といい、ドッと笑いが起きた。
……もう無理だった。携帯で、日本にいる先輩に泣いて連絡し、先輩は「最悪だ」と怒ってくれた。そこから私は航空券を手に、旅行会社のカウンターで、ツアーの人たちとは離れたところに飛行機の席を確保して、一切喋らず、羽田に着いた瞬間にダッシュで家に向かった。こんな屈辱的なことは初めてだ。「もう絶対にHISは使わない」と手紙を書いたが、届いているだろうか。
耐えられる人のところに苦しみはやってくる、と言うが、あんまりではないか。でも、私は強いので、今ではその出来事に前ほど苦しめられることもなくなったし、少し冷静に、今後そのような目に遭わないために(とは言っても絶対に悪いのは犯人なので、言い方が難しいけれど)、回避できる可能性がある場合にどちらの選択の方がよりリスクが少ないと考えられるのか、どのような行動や態度をとるべきなのか、をシビアに考えられるようになった。
とは言ったって、ツアーでそのような目に遭って、私はたまたま自力で、英語ではっきりと対処の方法を見つけ出そうとしたけれど、言葉ができない人だって多くいる。もっとひどい被害やショックを受ける人もいるだろう。海外旅行先で性犯罪に遭う人も多いだろうに、HISのような大きな会社で、その被害に対するマニュアルのようなものが共有されていないのではないか、ということが、被害そのことよりも、よっぽど恐ろしく感じた。
そうなのだ。被害も恐ろしかったけれど、そのあとのことの方が、ずっと心の傷として残っている。どうして私をわかってくれる人がいないんだろう、怒ってくれる人がいないんだろう、心配してくれる人がいないんだろう――。頭がおかしくなりそうだった時に、携帯ごしに、日本にいる先輩が私の置かれた状況についておかしいと怒ってくれたこと、あなたが心配だと声をかけてくれたこと、無事に帰っておいでと言ってくれたことが、本当に本当に私にとっては助けだった。先輩がその時、心配の声をかけてくれなければ、たった一人きりに感じ、もうさんざん責めたはずの自分をさらに責め、被害自体のショックも大きい中で、突発的に死んでしまってもおかしくなかった。それほどに私は辛かったのだ。
おかしいと感じたことに、例えば周囲がおかしさをわかってくれなかったり、そんなこと気にせずに、なんて言われて、ともかく楽しもう、楽しめなければ(それでまた周囲の空気を乱したりしたら)それは私のせいであって、いつまで気にするんだと疎んじられ、時には責められる。私の被害には見て見ぬふりされ、むしろ私が周囲の空気を乱す加害者のように、腫れ物のように取り扱われる。
それが、もし裁判でそうだったら、と思うと、私はとても恐ろしい。訴えるまでもものすごく辛いだろうに、それをなんとかなんとか頑張って、しかし、私がレイプだと感じたことを裁判でレイプでないと認定されたのなら、もう言葉を、誰も信じられない。追い込まれて追い込まれて、すでにさんざん責めたはずの自分をさらに責めて、もう行き場所もないように感じるだろう。
でも、私は、最近の判決について、はっきりとおかしいと感じています。おかしいです。これは私の同調するところではありません。
そして、他にも、おかしいと思っている人が目の前にいたら、私は、自分の考えが間違ってはいないと思える。
アンネマリー・シュヴァルツェンバッハは、ナチスが台頭した時期の書簡にこう書いている。
「反対側に立つというのは、逃避や転向、またはパリサイ人のような軽蔑を全くもって意味しない。そうではなく、よりよき時代まで、自らの信じる精神的な価値を保護することである。」(1933.4.8)
だんだん生きにくい時代が到来していて、貧困を嘆けば自己責任を説かれ、レイプもレイプと認められない。でも、それを「おかしい」と思う価値観を、必死で私たちは、どんな風にしても守っていかなければいけないのだと思う。それは来るべき、さらに厳しい時代に対する準備でもある。そしてその大事な「私の価値観」は、一人では、書斎では、守りきることができない。イエス・キリストだって、自分が処刑される前夜に弟子たちが全て寝入って、死ぬほどの悲しみを感じたのだから。思うだけで変えられるのだったら、それはエスパーなので、どんどん変えてください。でもそれは不可能なので、口に出さなきゃいけないのだ。それは訓練である。
「If you said it it was said.
(もし口にしたのなら、それはもう口にされたこと)
If you believed it you must say it.
(もし信じたのなら、口に出さなければならない)
If you believed, you believed.」
(あなたが信じたのなら、あなたはそう信じたということなのだから)
Bernard Malamud, "Angel Levine"
毎月11日には、性暴力の無罪判決に抗議する「フラワーデモ」が全国各地で開かれている。
私も明日6月11日(火)午後7時、行幸通りに参るつもりです。お会いしましょう。
や
ラブピースクラブでコラム連載中です。近日中に更新されると思います。
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