不要不急の沖縄日記①(2月中頃~3月末)(野田まりえ)



 私は、昨年8月末に夫の仕事の都合で沖縄に移住した。3月末まで、のんびりとした事務仕事をしながら、夫と1歳の息子と暮らしていた。4月1日から在宅で仕事をする予定だったが、息子発熱のため、まだなにもできていない。

 沖縄で新型コロナウィルスの感染が最初に確認されたのは、2月の中頃、タクシー運転手の女性で、ダイヤモンドプリンセス号の乗客経由で感染されてものと思われている。

 数日後に新たな2人の感染者が確認された。

 マスクはすぐに店頭から消え、皆ソワソワしていたように思う。

 義母から、イオンは外国人買い物客が多いので、行かないようにとラインが来た。義母はとても心配性で、こういうニュースには敏感だ。

 私は、SARSが流行っていた頃に香港に住んでいたが、その時に自分になんの影響もなかったので、今回も大丈夫だろうという謎の自信があった。

 ただ、義母を安心させたかったので、イオンやサンエー(沖縄でショッピングモールやスーパーを展開している)の大型店舗には、しばらく足を運ばなかった。

 他にも同じような考えの人が多くいたようで、イオンの前を通りかかったときに、駐車場が空いていた。

 暴れたい盛りの1歳児は、行きつけのキッズスペースを失った。

 その後も、義母から感染症予防にピーナッツと枝豆を食べるようにとラインが来たり、体調を気遣うラインが来たりするようになった。

 しかしその後、新たな感染はしばらく確認されなかったため、沖縄は徐々に自信を取り戻していった。外国人観光客は姿を消したが、本土からの観光客が増えた。

 東京では、トイレットペーパーが買えないらしいとニュースで見て、義母は東京で一人暮らしをしている娘に、トイレットペーパーやら食料やらを送っているようだった。私と夫も、除菌スプレーや手ピカジェルを一緒に送ってあげようと思って探したが、アルコール消毒系の商品は、サンエーからもイオンからも姿を消していた。

 東京にいたころに知り合ったママ友たちとのライングループでは、子育て支援センターが閉館していることや、自主休園に入った保育園があること、育休を延長するべきかの悩み、子どもの心をどうケアするか等、情報交換がなされていた。それぞれに異なる事情があることに対する、さりげない気遣いに溢れたやり取りが続いていた。


3月2日

 全国的に小中学校が一斉休校となるも、沖縄の人はどこかのんびりとしていた。近所の公園では、元気な小学生達が、宿題を持ち寄っていて、とても微笑ましかった。

私たち家族は、またイオンやサンエーにおそるおそる買い物に行くようになった。大人はマスクをして、息子の乗っているベビーカーには、日よけ虫よけ用のメッシュのカバーをかけた。

3月4日

 WHOがマスクはコロナウィルスの予防効果は無いと発表した。皆、鼻で笑っていたように思う。相変わらず、マスクはどこに行っても買えなかった。

 2月中頃にマスクを着用していた同僚たちは、マスクをしなくなっていた。WHOの言うことを真に受けたわけではない。もともと、コロナウィルスは春になると収束するとか、夏になると収束するとか言われていたこともあり、暖かい沖縄はきっと大丈夫だと、皆が信じているようだった。3月の沖縄は、初夏の陽気だった。

3月14日

 東京から友人2人が遊びに来た。有給と週末を使って、本当は海外旅行に行きたかったけど、コロナの状況を考えて、国内旅行に切り替えた、と言っていた。東京では、トイレットペーパーや生理用品がなかなか買えない状況だと聞いた。都会は大変だな、と思いながらも、私はなんだか東京が恋しかった。

3月21日

 新たな感染が確認された。

 休校中にスペインに家族旅行をしていた10代女性の感染が報じられた。

3月22日

 私は東京から来た友人と、読谷のカフェで食事をした。彼女からも、やはりトイレットペーパーが手に入りにくい状況を聞き、東京の友人たちや、義妹、従兄達が心配になった。その日の夕方、夫の親戚の家で集まりがあったので、友人と別れた後に義理の両親と合流し、親戚宅に向かった。義母は、私の顔を見るなり、カバンからプラスチックの小瓶を取り出し、そこからアルコールジェルを手に出すと、服の上から私の身体に着け、「いま、ホテルとか危ないから、消毒しないと」と言った。どうやら、私が東京から来た友人と、友人が泊まっているホテルで食事をしたと思っているらしかった。本当は、海辺のカフェで、テラス席だったのだけれど、義母にとり、きっとそれは大した違いではないと思い、私は黙っていた。

 親戚宅での集まりでは、新しい感染者がどこに住んでいるか、噂しあっていた。○○市だってよー、と誰かが言った。そこには、夫の親戚は誰も住んでいないし、最寄りのイオンモールからも遠かったので、私は安心した。家に帰ってから、ネットで調べてみたが、本当に感染者が○○市に住んでいるかはわからなかった。

3月23日

 新たに1人の感染が確認された。

3月24日

 また、感染件数が増える。

 ここから、沖縄の感染者数はどんどん増えていき、3月29日までに、県内で確認された感染が9件、沖縄県外で確認された感染が1件、計10件の感染者が沖縄県内にいることが分かった。

 嘉手納基地の米軍関係者からも2件の感染が報告されたが、彼ら、彼女らについての詳細は、どこまで沖縄県と共有されているかわからず、わかったとしても、こちらからなにか働きかけができるわけではない。

 私は、欧米の状況がどんどん悪化していく様子が恐ろしく、夜はなかなか眠りにつけなくなった。日本もそうなるのかと思うと、怖くて仕方がなかった。

 夫は、沖縄で新たに感染者が出るたびに、県のどの病院に入院しているか調べるようになった。私も夫も、家でスマホばかり見るようになった。

 少しずつ、備蓄品を増やそうと話し合った。

3月30日

 保育園が新年度の準備のため休園。夫が息子と一日過ごした。私は仕事に行った。

 夫は、いつロックダウンになってもいいように、息子用にトランポリンを買おうと提案し、以前義母に出入り禁止を命じられた大型イオンモールに行った。結局その日、1歳児に適したトランポリンが見つからなかったため、買ってこなかったけれど、離乳食と幼児用お菓子をたくさん買ってきた。

 息子の大好きだったイオンのキッズスペースは、無くなっていた。コロナの影響なのか、その他の理由なのかは、わからなかった。

3月31日

 私は、沖縄に移住してから始めた事務職を辞めることにしており、この日が最終出勤日だった。息子の保育園休園に伴い、私は午前中仕事に行き、お昼で帰った。入れ替わりで夫が仕事に行き、私が息子と二人で過ごした。夫は、自宅作業ができるように、手元に置いておきたい資料やパソコンを持って帰ってきた。

 夜、1歳5か月の息子が発熱する。

 私も少しだけ喉が痛い。

(……4月1日に続く)


野田まりえ



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