バスに乗る(イシイシンペイ)
ハリウッドのレコード屋からバスに乗る。夜なので車内の人影はまばら。同じ停留所から乗った青年が大股に長いバスの後部へ消えていく。私もICカードを読み取り機にかざして、降車ドアの前のスペースに落ち着く。と思ったら目の前の人が小声でぶつぶつつぶやいている。気をつけろ気をつけろ…。何に気をつけろというのか、それを私に言っているのか、なんだか分からないが少し離れた席に座ることにしよう。脳裏に違和感。気づくとさっきから何かがしゃんしゃんしゃんしゃん鳴っている。振り向くと後ろの方の席に虚空を見つめて無心に鈴を振る人あり。小学校の音楽室にあるような、持ち手のついた大きな鈴。お客さん大きな音をたてるのはやめてください繰り返します静かにしてくださいのアナウンス。鈴ノイズ、止まず。しゃんっしゃんっしゃんっしゃんっしゃんっしゃんっしゃんっしゃんっ。ついに運転手でっかいため息をついて停車。のしのしと鈴の人のところまで歩み寄り、Ma’am I said stop it, please.
ある朝会社に行くときのこと。途中で乗ってきた人が料金箱にたくさんの小銭をじゃらじゃらと投入して前の方に小さく座る。5秒の静寂の後、やにわに立ち上がる周りの乗客。混んでいる車内で空白となったその人の周り3mにたちこめる異臭。他に形容しがたい人糞のにおいが鼻腔を突き抜ける。10分後同じところで降車し、私は振り返らず職場に向かう。いつものばかげた日差しが熱い。
別の日の帰宅時、降車ドアのガラスに姿を映してステップを刻む若者あり。バスケットボールの装束で短い振り付けを入念に繰り返している。ガタンガタンと車体がひどくきしむ中に混じる強く短い呼吸音。
ダンサーが降りたバス停で乗ってきた別の若い人は、耳をイヤホンでふさいで視線は下向き、足早に座席に直行する。運転手がすかさずちょっとちょっとお客さん料金お願いしますよと声を掛けたが早いか、あ!?と叫ぶ若者。今なんつったもういっぺん言ってみろ俺にそんな口の聞き方するんじゃねえくそったれ次に俺にそんな口を聞いたらぶっ殺す Do you understand, I’ll kill you。運転手は黙り、青年はイヤホンで耳をふさぎなおす。すぐ次の停留所でそそくさと降りた青年、動き出すバスのドアを蹴っ飛ばしながら呪いの言葉を絶叫。
さてまた別の日、昼どきにバスに乗ると満員の車内は賑やかである。まごまごした中年の乗客がひとり、ロサンゼルスに来たばかりで英語が分からないのか、古株移民の皆様にスペイン語の親切でもみくちゃにされている。推測するに、あそこで乗り換えろとか席空いたから座れとか口々に言っている様子。おそらく全員初対面なのに、こんなに明るく気持ちのいい眺めがあろうかと思いながらバスを降りる。
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